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上書き

おととい、ここの書き込みでヘビさんに同情したつながりでもないんですが、もう二十年近くじたばたしていて書けなかった「情けあるおのこ」の原稿を、力技で強引にしあげて、一応完成したものですから、ヘビが皮を脱ぎかえた直後みたいに、ぶわあーっと脱力しています。やっとこさ、下の家に掃除機を久しぶりにかけました。そんでもって、猫のカツジの毛玉をとろうとしていたら、やつは怒ってかみついて(それでも昔に比べたら、ずいぶん穏やかなかみ方にはなったなあ)逃げるはずみに、私の大事な大事なガラスのランプをひっくり返して、あわや壊したかと血が凍りました。
調べてみたけど幸い別状ないようで、もしかしたら、ひびが入ったのかなと思うけど、もともとのおしゃれな気泡みたいなのかもしれないし、まあ一応は大丈夫そう。

もう許せんと思って、長毛種用のすきぐしを買ってきました。これで、すきあげまくってやるとサディスティックな気持ちになっていたところが、そのすきぐしが見つからない。くやしい。どこに行っちゃったのやら。

話を戻すと、「断捨離停車駅」にも書いたように、私は去年の二月に晩年用の資料や本をがっさり失うという事件があって、三月初めに二十年前に亡くなった愛猫キャラメルの思い出とも重なって、本当は小さい時から大好きな早春のこの季節が、とても重苦しいつらいものになりはじめていました。

二月の初めに灰色猫のグレイスが二十歳で大往生したとき、それなりの喪失感はあったけど、何だかこう、群れの長老が死んだような穏やかさもあって、もともとグレイスは八歳で早死したキャラメルが、似ても似つかない外見と性格ながら、代わりにさしむけてくれた猫のような感覚がどこかにあったのとも重なって、おかしな話ですが、この季節の早すぎたキャラメルの死の悲しみを、グレイスの死が薄らがせてくれたような気もしていました。
更に、「情けあるおのこ」の原稿が完成したことで、資料や本を失った記憶も上書きされたところがあり、二匹の猫が完成させてくれた仕事のような気分でいます。
この季節が、そういう季節としてこれからは残るのだと思うと、ちょっと救われます。

今日は雨ですが、朝から何度か陽射しがのぞいて、キャラメルの墓のまわりに置いた鉢植えの花を照らしていました。オキザリスって花がかわいいから買ってきて植えたのですが、この花、暗かったら眠るのね。早く日が射して、花が開くといい。

古本屋でまとめ買いした加納朋子の小説を読みまくっています。きれいで繊細でしかも健康的でなかなかいいけど、これを続け様に読んでいると、こっちの精神もヤワになりそうで、ちと恐い。
海外ドラマ「ブル」の方は第二シーズンになってから、何だか迫力がなくなった感じ。もともと設定が特殊だから、継続して行くのが難しくはあるんだけどね。ブル本人やスタッフ内の弱みを出して見せはじめたところが、何だかまずい方向な気がする。第一シーズンの最後に出て来てた凄腕女弁護士とやらも、なーんか全然そんなオーラがなくって、しょうもない小娘にしか見えなかったし。あれもちょっと致命的かもしれない。ダイアン・ロックハートがなつかしいよ(笑)。

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カツジ猫