不死身とユートピア。
◇このごろ、こんなことばかり書いてるような気がするが、無理をするほど無理ができると思いこまれて、次々仕事が増えて行くという状況は、まったく何とかならないものか。まあ、世の中全部わりとそうしたものなんだろうが。
◇私は母が体力や知力その他が衰え始めたとき、それを娘である私をこき使うことで補おうとし、ある程度はそれに応じていたものの、多分世間の善良な人たちよりは、かなり早い段階でぶち切れかつぶっちぎれ、「私を不死身と思うのか。使っても使っても減らない資源と思ってるのか」と思って、母に抵抗した。結局母もあきらめてくれたけど、私もむげに全部拒否はできなくて、その見限りと見計らいに、つくづくもう疲れ果てた。自殺覚悟で、行けるところまで突進し、使いつぶされてやると思って抵抗をやめて献身した方が、正しくはなくてもある意味楽ではあったろう。
◇もうひとつ、これも若いころからだが、私の部屋や私の家、私のいる空間は、いわゆる癒しややすらぎのスポットとして、人に使われることが多かった。それは母や祖父母が元気なときは、田舎の大きな私の家だったし、大学に勤めている時は私の研究室だったり、私そのものだったりした。時には私がいなくても、その場所や、そこに集まるメンバーがその役割を果たしもした。
下手すりゃオウム真理教だの、どこぞのカルトの集会所がそういう役割を果たしかねない現在、良質で自由なそういう場所が存在することは大切だと思うから、私もそういう場所づくりはしてきたし、何より自分も救われたし学ぶことも多かった。
◇とは言え、私は基本的には絶対に、孤独で一人で、勉強や仕事をするのが好きである。だから、その時間、その能力を培う機会が制限され侵略されると、生きていけない。
忘れもしないが、大学時代、「ここに来ると、いやされる、くつろぐ」と、よく私の家に来て言ってくれた人に、私はたのむからくつろぐな、いやされるなと内心ののしっていた。それは、多分、その人が本当にそう感じていたというより、そうでなくなったことを何となく感じていたからこそ、消えようとするもの、失われるものをつなぎとめようとして口にしていたことかもしれない、と今になって思う。
その後もときどき私は衝動的に学生を研究室から閉め出したりしたこともあるが、そういうときにまた、つくづく思ったのは、結局私の一存で、いつでも閉鎖して消してしまえる「快い空間」などで、よくもそう安心して、のんびりくつろげるよなという、いらだちと感心だった。
社会であれ、国であれ、団体であれ、何であれ、ウォーターシップダウンのうさぎたちの農場じゃないが、やたら快適で居心地よくて、しかも運営その他に何も自分が関わっていない場所に何をそう信頼して身をまかせられるのか楽しめるのか、私には本当に信じがたい。寄生虫や居候などという存在は、その点実に勇気と度胸があるなと、真剣に感心する。
◇私にも行きつけの店、長電話をかける友人など、そういうユートピアに近い存在はいくつもある。あー、カツジ猫の毛皮なんかもそうだったりして。
だが、少なくとも私は、それが消えたり衰えたりしないように、ささやかにでもできる範囲で支援や援助や協力をしておきたいし、それにしても、それが突然なくなったり変質したりしたときには、恨んだり悲しんだりはしないようにしようと、いつも覚悟している。
私があれだけ一心同体だった母の死に、いっこうに衝撃を受けず喪失感もないのは、そういうこともあるのかもしれない。母もたしかに私のユートピアの一つで、でもその維持を私が拒否したとき、その喪失を嘆く権利も多分私は放棄したのだ。
以前、友人と食事に行ったお店で、そこがまもなく閉店すると聞いた友人が「どうかやめないで下さい、ここに来るのが楽しみだったのに」と店主に言っているのを聞いて、私は本心であれリップサービスであれ、何という残酷なことを言うんだろうと内心びびった。いろんな懊悩や逡巡を経て閉店を決意したその店の人に、本当にこれまでありがとうございました以外に何を言えるというのだろう。惜しまれて去るのが幸福な人もいるのだろうから一概には言えないが、私が惜しまれる当事者なら、惜しんだり引きとめたりするぐらいならもっと前に何かできることがあっただろうと、腹立たしくなるだけだ。結局は自分の楽しみが消えることを何を今さら、それを与えてくれた人に未練がましくして罪悪感を抱かせるのだ。自己満足もいいかげんにせい。
わー、やっぱり私最近、荒れてるなあ。
◇私の田舎の大きな家の維持管理に私が時間的にも経済的にも、息もつけないほど四苦八苦していたころ、その家を愛しなつかしんでくれる人の多くは、そこで過ごした楽しい日々を追憶し酔いしれ、私が限られた予算で苦慮し決意してリフォームしきれいにして何とか現状維持してる、その家にうっとりして、ここにいると時間がとまったようとか昔がよみがえるとか、今度皆で集まって飲もうとかイベントに使おうとか、まーさまざまな夢を語ってくれたが、庭の草一本むしるでもなく、金の援助をするでもなく、私が家の管理の苦労を話すと、みごとに聞かないふりをして、私があいかわらず世間しらずの、のんびりおっとりしたお嬢さまでいるかのようなふりをしてくれた。「桜の園」のラネーフスカヤ夫人じゃあるまいし、誰がそんな安っぽい猿芝居に乗るもんかい。もちろん親身に相談にのってアドバイスしてくれた人もいたが、断固として聞かないで幻想の中のユートピアの管理人役を私に押しつけつづける人たちの意志の固さには私はある意味、感服した。
今私は、田舎の家を人手にほぼ渡し、あれほど愛した場所を手放そうとしているが、そのことに感傷はない。母と同様、その家と私は四つに組んで格闘し、愛し愛された。誰よりもそれらを知っているし、知られているし、充実感しか残っていない。仮にそこが他人の手によって、荒れ果て、変わり、消えようと、無常観さえ持たないだろう。
◇思えば、わがままな祖父に仕え、大勢のお客に対応し子育てもして、地域の人のよりどころとしてのユートピアを支えた祖母は、晩年身体がきかなくなってからは、正しく弱さ(強さかな)をむき出しにして、祖父とののしりあい、とっくみあいの立ち回りを演じていた。母は自分の弱った身体の補完に私を使おうとした。それぞれの戦いが私は理解できるし、彼らを愛せる。だからこそ、私自身もユートピアの管理と終焉については、妥協も無理もする気はない。
起こってもいないことに先んじてむかつくのは、私の特技だが、こういう、自分は