二つの投書
※母のデイサービスに行く時の着替えを入れる袋に、綺麗なビニールバッグの安いのが見つかったので買って持って行きました。そして冬のセーター等を少し持って帰り、夏のパジャマをクローゼットのハンガーに掛けました。
季節が静かに移って行きます。
※毎日新聞の投書欄に大阪市長の慰安婦問題発言を弁護する意見が二つ程続けて載りました。中村哲さんの「憲法九条が有るから海外でどれだけ安心して救助活動が出来るか分らない」「九条が変えられたら自分はもう日本国籍など要らない」等の静かな強い発言を紹介した記事等、良い記事が最近多い新聞ですが、其れなりにバランスを取ろうとして居るのでしょうか。其れとも此の様な弁護の投書が多いのでしょうか。
※どちらの投書の内容もほぼ同じで、市長の発言は日本が世界から余りにも不当に攻撃されて居る事への必死の一矢では無かったか、日本の戦争犯罪を弾劾する国にもそれぞれに暗黒の歴史や汚点は有るであろうのに、と言う物です。
こういう感覚をお持ちの方は実際少なくないのでしょうし、市長も其れを期待してのあの御発言だったのでしょう。
外国に批判される日本の歴史や過去については知ろうとも知らせようともせず、批判されると驚いて不当な攻撃をされた様に怒る、其れを正しい怒りの様に取り上げて、自分達が被害者の様に思い込む。
こうやって、ナチスドイツも昔の日本も今の北朝鮮も世界の孤児に成って行くのだと実感します。かつてのオウム真理教も似て居ましたね。
老母は、北朝鮮についての報道を見聞きする度に「戦時中の日本、昔の日本はあの通りだったよ」と何の苦もなくすんなりと理解して居た事です。其れも思い出しました。
※国にしても個人にしても、自らが不当に攻撃されて居ると感じたら何よりも必要なのは相手の言い分を充分に聞き、何が攻撃されて居るのか何処に誤解が有るのかを確かめる事ではないのでしょうか。
自分への批判は聞くのが嫌だからと耳を塞ぎ、相手にも後ろ暗い所は有るだろうから、此の件は有耶無耶にしようと持ち掛けるのは、相手や周囲を納得させるには程遠い対処ですし、其の様な関係からは良い物は何も生まれません。
世界も人類も其れを避ける為に、数々の過ちを犯しつつも過去を振り返り教訓を導き出しては未来につなごうとして来たのです。
其れが出来ない、しようとしない国も人間は、相手にされませんし置いて行かれるに決まって居るでしょうに。
此の様な投書を見て居るとつくづく世界に通用しない国に成りつつ有ると感じます。文化の違い、価値観の違いが有るにしても、其れを説明し理解しあう努力さえ日本はしようとして居ない。
此れは国民の自己責任と言うのも良いですが、其れ以上にマスメディア、政府、知識人、教育者の怠惰と臆病でしょう。
本当に国を愛するのなら、誰よりも厳しく、その暗黒の部分を見つめる事から始めなくてはなりません。
其処から目をそらした儘の愛など所詮は偽物、長続きする訳も有りません。
※じゅうばこさん
政府は原発再稼働を露骨に言い出して居る様ですね。映画の感想をお待ちして居ります。(笑)