些細な事の様でも有りそうでは無い様でも有り
只の愚痴の様でも有りそうでもない様でも有り。(笑)
三ヶ月程入院して居た母が近く帰って来るのですが、既に私は其れを思うだけで体調を壊す程気が重く成って居ます。
母が居ない間の家の管理と猫の世話は寧ろ楽しい位だったので、自分の仕事も進みました。
母の事が嫌いではないのですが、何故此処まで気が重いのか考えて居ると幾つか他愛も無い原因に思い当たります。
母の留守の間に母の居間も寝室も私が使って居たのですが、其れで改めて気付いたのは、母が戻ると此の家の居間にも台所にも私の居場所が無いのです。
母に最も快適な様に部屋を作って家具を置いたのは私です。実際大変快適です。ですが、テレビの前のソファは母の場所で台所のテーブルは食事用なので、私が寛げる場所や読書や書き物をする場所が全く無いのです。一寸横に成ろうとしても固い木の床に寝るしか有りません。窓辺の寝椅子は猫の場所に成って居ます。(笑)
結局食事が終わったら私は隣の仕事部屋に引き上げるのですが、其処にもベッドは無くソファで寝る事に成りますから疲れは取れませんし、遅くまで仕事をして朝少しでも遅く迄寝て居ると母が起しに来ます。其れも「今日は早く帰ると言って居たのに間に合うの」等と私の予定を口実にするのが苛立たしいのですが。
其れでなくても介護のヘルパーさんが来たら居てはいけない事に成って居ますから私は常にそそくさと落ち着けません。
母はヘルパーさんの居ない時間は私に話し相手をして欲しい様で其れも当然では有りますけれど、私はどんなに疲れて居ても母の傍の床の上で小さい座布団を敷いて座って居るしかないのです。座卓の上は暗いしテレビの音量が高いから到底仕事は出来ません。
其れで思い出したのですが以前私は其の状態を何とかしようと昼寝用の小さい布団をソファの代わりに床に敷いて居た事が有りました。所が私が疲れて其処で寝る事が多かったので母は話し相手をして欲しいのか、何時も其の布団を必要も無いのに片付けて自分の寝室に持って行って仕舞うのです。私を寝せたくないのでしょうが、起きて居て傍で話し相手に成って居て欲しいのでしょうが、結局私が寛いで休める場所も仕事をしながら話せる場所も、居心地の良い空間を少しも作って呉れないのです。
認知症に近い状態の母に此の状態の改善を望んでも無理なのですから、私が何とかしなくてはならないのですが、良い方法を思い付けません。
快適なソファであれ仕事の出来るデスクであれ、母にとって其れは自分から私を奪う物でしか無いのでしょう。けれど、其の様な場所を無くして私を自分が独占しようとすればする程、逆に私を遠ざける結果に成って仕舞うのです。
其れは介護の規則も同じで、家人が居たらサービスが出来ないと言う制約が結局は家人を遠ざけて仕舞うのです。
思い切り家具を入れ替えて家の様子を変えたら何とか成るのかも知れませんが、経済的な余裕が有る訳でも無く、どれだけの効果が有るのかも分からず、どうして見た所でヘルパーさんが居る間は私が居られない状況は同じな事を思えば、大きな模様替えをする決心がつきません。
けれど部屋の模様替えは出来ないまでも私自身の気分なり母との付き合い方なりを良く考えて置かないと母がどうこう言う以前に私の精神が崩壊するでしょう。