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人の上に立つんなら。

◇安部首相の記者会見は、いろんな人が批判してるけど、内容以前にもう、本気でも何でもないということがわかりすぎてコメントもしようがない。だから感想言おうとすると、結局人身攻撃や悪口になるしかない。それもまたいやだしね。まともな悪口さえ与えたくなくなるぐらい、相手にしたくない、ふれたくもない。

それにつけても思い出すのは、都知事選の応援演説で、他候補にバカとか何とかひどい発言があったことが、国会で問題になったとき、首相はたしか「私も毎日、いろんなところでバカと書かれている(でも文句言わない。だから騒ぐことじゃない)」とか答弁して、議場に笑いが起こったとかいう記事だよね。

共産党の「しんぶん赤旗」でさえ、そのことを特に批判はしなかった(他に批判することが多すぎたんだろ)と思うが私はその発言が笑い声もふくめて、身の毛もよだつほどいやだった。
安部さんという人は、こういう人なんだなあと思った。
この人のこういう、なめた、ずれた、おかしな答弁にけっこういつも笑い声が起こるというのも許せなくて、冗談やギャグや自嘲というものを何と心得るという気もした(そういうのは、もっと高級で上品な精神に包まれているものだよ)。それは、例の都議会のヤジのあと起こったという笑い声とも共通していて、本当に何かどうしようもないところで人を下品にし野蛮にする役割を、首相のこういう精神は確実に果たしてると思った。

◇まじめに言うのもわかりきっててバカバカしいくらいだが、選挙戦で公的な場所で公言される悪口と、大新聞でもテレビでもない、反対勢力の批判とを、同じ基準で考えるのもおかしいし、「私もそう言われていつも不愉快ですからそうした発言はやはりやめてほしいです」という姿勢じゃなくて「私が言われてるんだからそっちも文句言わないで下さい」とそういう傾向を肯定、後押しするのも感心できない。
だが、何よりも「ああ、だめだ、この人は」と感じるのは、大きな権力を持ち、絶対的に強い立場にいる人間が、そのことの自覚もなく、普通の国民と同じ基準で被害者意識を持ち、同じ痛みとして平然とそれを差し出してくるということだった。

悪い意味で、徹底的に悪い意味で、この人は、自分が偉いという意識がないのだ。
そういう人は私の身近にも職場にもいた。多分どこにでもいるだろう。そしておそらく、暴走族のにーちゃんの世界とかだったら、こういう人はよっぽどのまちがいがないと、上には立てないしリーダーにもなれないと思う。
自分の痛みは我慢して、自分は人より苦しいのはあたりまえと思っていて、部下や子分とはちがった、もっと厳しい基準を自分にあてはめるのが当然と思ってなけりゃ、リーダーなんてつとまらない。
しかし、職場や社会は、いや、軍隊とかでさえ、ある程度の法律や規律や規範に守られている世界だと、何かの拍子に、どうかすると、けっこう、こういう、「えらくなっても、自分は皆と同じだと思いこんでいる」かんちがいすぎるリーダーが生まれてしまうことがある。

本当にすぐれた指導者なら、いや、そこそこにふつうの指導者でも、「自分はえらくなっても皆と同じ」と、にこにこして一緒に焼酎とか飲んで与太話してても、そこで何か起こったら、上に立つのは自分だからと全責任は自分が取るみたいな使い分けをきちんとしている。
逆に、「自分は皆とちがう」と思いたがって、椅子でも酒でも車でも、一般庶民とはちがう物にしなきゃ気がすまないやつに限って、何かことが起こるといきなり、「私もつらい」とか、「自分も人間だ」とか、フツーの人を強調しはじめる。
安部首相の精神の根底には、このちっぽけさ、いじましさが横たわっている。ふつうに生きている分にはどうってこともないだろうが、根本的に、決定的に、彼は「人の上に立つ人間」ではない。

◇閣議決定で憲法を変え、日本と世界の運命を左右することの重要さなんか、この人はまったくわかっていないと私は断言してもいい。まあだから、こういう人のことはおいといて、今の状況のことを考えてみようと思うが、そろそろ仕事に行かなくちゃ。あとでまた。

◇カツジ猫も書いてますが、今日は朝からどしゃぶりです。昨日、洗濯をすませておいて本当によかった。
この前デパートの地下で手に入れてきた国産レモンが、さすがに添加物とかないのか、もう傷みだしたのでゆうべあわてて、りんごとさつまいもの砂糖煮を作って、使いました。わりと、いけます。

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カツジ猫