今回は降参?
この数日、来客つづきで、泊っていく人もいたりして、楽しかったが、ややばてた。しかも、はっと気づけば、非常勤で行っている授業の成績〆切が目前にせまっていた。
私も、できれば単位をやって、めでたく卒業や進級やしてほしいので、われながら、かなりしつこく、「単位がいるなら、まだ間に合うからレポート出してくださいね」だの「このままでは落ちるから、追加レポートをお願い」などと、掲示や電話やメールで、かなりしつこくよびかけて、単位をもぎとるのの逆で何と言おうか、単位を相手の手にねじこむようなことを、例年わりとよくやってきた。だが、さすがに今年はもう、この忙しさの中で、その余裕がない。(しかし、いったいどうして、退職した年金生活者が、こう忙しいんだ。子も孫もいないというのに。謎だ。われながら。)
それでも、一応の掲示は出したのだが、友人のじゅうばこがよく言うセリフではないが、もう疲れたよパトラッシュの心境で、連絡のない学生には、そのままの未受験や不可や無資格で単位を出しておくことにした。
「江戸の紀行文」の本で、いろんな方からありがたい感想をいただいたのだが、それに加えて助かったのが、イタリア中世史の大黒先生と、江戸の俳諧とくに蝶夢の研究でこれまでにも教えていただくことが多かった田中先生とから、お手紙や抜き刷りで、教えていただいた貴重な情報だ。田中先生は「事実の重視の進展、事実把握の精確化」という私が江戸の紀行について書いた傾向は、「俳諧史の流れに一致」するし、「これが近世であり、また近代に深くかかわる条件でしょう」と、ご自分の論文にもふれながら指摘して下さった。大黒先生は「『東方見聞録』とその読者たち」という論文を下さったのだが、そこで、マルコ・ポーロの「見聞録」が、虚構の物語として、また現地へ行く者の資料として読まれるいきさつを、緻密に考証しておられる。
江戸時代の紀行の読まれ方の共通点もわくわくしたが、江戸の紀行には(多分)なかった要素が、商人たちの情報、マニュアルとして読まれたということで、これは実に刺激的だった。
おっと、字数オーバーにひっかかるかな。まだ大丈夫かな。