1. TOP
  2. 岬のたき火
  3. 日記
  4. 今日はお知らせが多い(笑)。

今日はお知らせが多い(笑)。

◇もっと早くに書くはずだったのですが、明日、むなかた九条の会主催で、「戦争と平和について考えるつどい」をします。宗像市の河東コミュニティセンター(旧中央公民館)で、13:30~で16:00ぐらいまで。JRの赤間駅からバスで福岡方面に向かって一つ目か二つ目のバス停です。赤間駅から歩いても10分ぐらい。連休のまんまん中なので参加者が少なそうで心配です。参加費は資料代の100円のみだし、どうぞお誘いあわせの上、ご参加ください。

そうそう、「赤毛のアンの子どもたち」というタイトルで、私が講演します。この春に太宰府でやった内容に、さらにおまけがついています。講演の要旨を下に紹介しておきます。言っちゃ何だが面白いですよ♪

私は二日ほど前の朝、急にめまいと吐き気に襲われ、昨日と今日の仕事をキャンセルしました。病院にも行ってみたけど、どこと言って悪いところは見つからず、きっと登校拒否でしょう(笑)。まだめまいは少し残っていますがだいぶ気分はよくなったので、今日は家の掃除をして、さっきからリンゴのサラダとぶり大根を作っています。つまみ食いする大根はおいしいですが、ぶりは照り焼きにしてもよかったなあ。また明日買ってこようかな。

私が二日間家でだらだらしていたので、カツジ猫はすっかりごきげんで、いっしょにでれでれしています。

「赤毛のアンと子ども達」講演要旨        アニメやNHKの朝ドラで「赤毛のアン」を知っている人は多いだろう。空想好きな赤い髪の少女アン・シャーリーは、大学を卒業後教師となり、やがて幼なじみでよきライバルでもあったギルバート・ブライスと結婚して七人の子どもを持つ。「アンの娘リラ」は、その末娘リラが主人公で、彼らが暮らすカナダも参戦した第一次世界大戦の開始から終焉までの一家の暮らしを描いている。  子どものころ「アン」シリーズを愛読し登場人物の誰もを現実の家族や友人と同じように身近に感じていた私は、「アンの娘リラ」を読んだとき、静かな衝撃を受けた。当時中学生だった私は他のさまざまな文学作品から戦争というものがどれほど悲惨で理不尽なものか知っていて、絶対に起こしてはならないものと考えていた。しかしアンの一家もその周囲の人たちも、私がよく知っている彼らの魅力はそのままで、積極的に戦争を肯定し、敵国ドイツに激しい憎しみを抱いている。村で唯一戦争に反対する男性は若者たちの投石で窓ガラスを割られ、教会で戦争反対の発言をして暴力的に排除される。しかもアンの一家はそれを肯定し小気味よいことに感じている。  村の若者たちは皆勇んで戦争に赴く。唯一アンの次男のウォルターは繊細で母譲りの想像力の豊かさから戦争のむごさを予測して、自分が人を殺すことへの強い嫌悪を抱いている。しかしその彼も、ドイツの潜水艦が女性や子どもも乗っていた客船ルシタニア号を撃沈したというニュースを聞いた時に許せないと感じて志願し戦いに赴き、戦死する。  私は当時、レマルクの「西部戦線異状なし」を読み、主人公の若い学徒兵パウルとその戦友たちもやはり家族同然に感じていた。帰省したパウルの老いた母が夜にベッドのそばにいつまでも座っていた場面も覚えていた。パウルも結局戦死する。アンの一家が憎み戦う敵とはパウルたちだと思うと私はどうしても、アンたちに同調できなかった。だがそれはまた、村で戦争反対を唱えた男性のように彼女たちから憎まれて孤立することだともわかっていた。 中学生の時に私は、戦争に反対するということは恐ろしい残酷な敵と戦うことではなくて、自分が一番愛する人たちに憎まれることなのだということを実感し覚悟した。  同じころ読んだマルタン・デュ・ガール「チボー家の人々」の主人公ジャックはスイスで社会主義運動に加わり、最初は戦争に反対だった仲間の皆が、それぞれの祖国のために戦うと言って去ったのちも戦争をくいとめるために、両軍の兵士に武器を棄てることを訴えたビラを前線の上から飛行機でまこうとする。だが機は撃墜され彼は死んだ。ジャックの兄アントワーヌはエリートの青年医師だったがドイツ軍の毒ガスで身体を蝕まれ戦後に亡くなる。彼の知人の政府高官は彼との他愛ない会話の中で、「ルシタニア号で死んだ女子供よりずっと多い女子供が我々の封鎖政策によってドイツで死んだ。だがそんなことは決して報道してはならない」と語る。虚しさと怒りの中で、ウォルターやアンたちにそのことを知らせるすべのない無力感を私はかみしめた。  だが最近になって刊行された「アンの想い出の日々」を読むと、そこには「アンの娘リラ」が謳いあげていた戦争の意義や新しい時代への期待はなく、ウォルターの死や彼をしのぶアンの言葉には強い戦争への嫌悪があった。私はどんなに愛していても敵対するしかないと思っていたアンの一家やウォルターが再び戻って来たのを感じ、どんなに意見が異なってもすべての愛する人たちとはいつか必ずわかりあえるという予感のようなものを感じた。  「アンの想い出の日々」の原稿は第二次世界大戦に米国が参戦した翌年出版社に持ち込まれ、その翌日に作者モンゴメリは死んだ。自殺であったとの説もある。出版されなかったのは作品の持つ強い反戦色がナチスドイツと戦おうとしていた国情にそぐわなかったからだろう。このことはまた私のような戦争に反対し平和を守ろうと決意している者にとって、新たな厳しい問いを投げかける。それは、第二次世界大戦は果たして正しい戦いだったか、勝利したのは正義だったと言い切れるのかということだ。 ナチスドイツ、天皇制日本、イタリアファシズムなどが第二次大戦で行った侵略や人権侵害の数々は二度とよみがえらせてはならないものだ。終戦にあたって確認された数々の教訓を前提に成立している戦後世界を私は基本的に支持する。しかし映画「ハンナ・アーレント」が描くように、ナチスは恐ろしい怪物で殺されたユダヤ人にまったく非はないという以外の見解を絶対に許さないという姿勢に本当に問題はないのか。  慰安婦問題を初めとした「自虐史観」への批判は強いが私の記憶にある限り日本の中国大陸での残虐行為をクローズアップしたのは本田勝一のドキュメント「中国の旅」で、それは、その前に彼が主張した「殺される側の論理」での、ベトナム戦争や原爆投下の背景にある米国のアジア人蔑視の指摘と対をなして発展して行ったものだった。その発端はむしろ「自虐史観」とは対極にある。そのへんのことも今後は話し合って行きたい。   (2014.11.16.)

Twitter Facebook
カツジ猫