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何という正月

おせち料理と同様に、お雑煮も思い切り出来合いで、買い置きしていた野菜と鶏肉と人参、おせちの余りのかまぼこを適当に煮込んだ。
 昔、名古屋にいたころ、親しい学生数人が、先生、正月に研究室でお雑煮を作ろうと言い出し、私は賛成したものの、長崎出身の私の家族は肉をはじめ、ありとあらゆるものを盛り込む超豪華な雑煮を作っていたので、そんなのを研究室でどうやって作るんだといぶかっていた。そうしたら野菜とお餅だけのような、とてもあっさりしたお雑煮で、それはそれでとてもおいしく、こういうのもいいなあと感心しながら男子学生たちの調理するのを研究室で味わったのを思い出す。あれは名古屋のお雑煮だったのだなあ。三が日にちょっと作ってみようかなあ。

などと思い出しながら、年末にいただいたつきたてのお餅を入れたら、これがまた超おいしくて、朝は三個、昼も二個食べてしまった。夕食はこれまた昨日の残りのそばをゆでて、おせちに入りきれなかった淡雪をデザートに、ねぎもたっぷり入れて温かくして食べた。
 実は私は麺類が嫌いでもないのに何となく気が進まず、外食では食べることがまずない。だから、そばも店で食べたのは何十年も前になる。そのため実はインスタント以外のまともな店のそばというのが、どうおいしいのかを知らない。よって自作した由布院そばも、どのくらいおいしいのかが比べようもないからわからない。おいしかったのだが。
 今年は麺類を外食で食べるのを目標のひとつにするか。

おかげで食欲は満たされて体調は快復しているようだが、それでも何となくいまいち。自分がばりばり健康なときなら災害や被害の様子をニュースで見ても、同情がいまひとつ余裕があったのだと、あらためて気づく。一応歩けはするものの、避難したり逃げたりするのなどかなりハードルが高いと実感していると、災害に遭われた方々の状況が、もう切実で不安が自分のことのようにつのるのだ。

昨日はブログでも宣言したように、朝から賀状の整理などしつつ、だらだらとテレビで駅伝を見ていた。夜は教育テレビでクラシックと名探偵ホームズに関する番組を見ながら寝ようと予定して、その間ののんきなバラエティーを見たりしていて、ふとネットをのぞいたら地震の話で、それ以後はテレビも多分ラジオも、すべて災害関係の放送になってしまった。

超罰当たりなことを思うと、駅伝やバラエティが見られただけ、せめてよかったかなとちらと思った。そしてすぐまた、被災され、生き埋めになったり負傷されたり家を失ったりした皆さんも私同様、朝や昼にはご家族でおせちを食べて駅伝やバラエティーを見ておられたはずだと気づいて、また胸が苦しくなった。本当に私だっていつどうなるかわからないのだ。

そしてまた、あまりにも切ないのは、少々のポンコツ政府でもいいから、こんな時に支配者や指導者を自負するような責任者が、まずは国民のことを最優先に気にして考えて、損得抜きにできるだけのことはしてくれるはずと、無条件に信じられない、足元のゆらぐような不安さである。

年末から入浴もしてなかったので、ときどき警報も響いたりする中、びくびくしながら浴槽にお湯をはって風呂に入って髪も洗った。おかげでかなりさっぱりして気分もよくなった。
 その間もテレビはつけっぱなしていたから、見逃してはいないはずだが、首相の会見は多分なかった(さっき見たら深夜の11時半にやっていた)。どんなに頼りなく内容がないものであっても、私ならまず災害のあったとたんに自分の顔と姿を国民の皆にさらす。被災した人にもそうでない人にも、とにかく自分の声で、大変でした大事にして下さい元気を出して下さい私にできることは全力でしますいやできないこともやります助けます待っていて下さいと呼びかけ続けるだろう。そうしないではいられないだろう。ある意味、基本的な方向を決めれば、あとのことは専門家や事務方にまかせても、政府の最高の地位にある者はそれしかすることはないのではないだろうか。

まるで中心のない責任のない顔も見えない政府のもとで、事態が動きつづけているような心細さと心もとなさをずっとかみしめさせられていた。ああまた、自分で何とかするしかないと言われているのかと思い知らされつづけていた。年末のNHKの番組で、戦争中のフィリピンで故国に放置され国籍もないまま今も生きる高齢の方々のことを知って胸をしめつけられたが、この国にいてさえ私たちは棄民だ。

国家や国民ということばは好きじゃない。それでも、国家や国民ってこんなもののはずがない。もっと守られ、大事にされ、愛情と心配で抱きくるめられなくちゃならないはずだ。

いろんな担当者や公務員や消防隊員や警察官や自衛隊や原発職員やその他の人も、皆必死で良心的に献身的に働いておられることを疑わない。それでもこれまた危機管理や原発(あらためて、あの地域にはそれほど放射能関係の大きな危険な施設が林立するのかと仰天した。どこぞのミサイルをあれだけ恐がるくせに、よく平気でいるな)に関する発表などを見ていると、企業の利益や政府の意図が忖度されてはいないかと、否応なしに思ってしまうのが、これまたつらい。災害や戦争に限らず、国難の時期に情報が管理され隠されるのが必要になるのは知っている。それでも、その際のぎりぎりの選択や判断が安易なものでなく、国民の安全や人権を何よりも大切にする配慮を忘れない指導者であってほしい。常識的な線だけでも。
 それがまったく信じられない今の政府と体制であることを、これまたここしばらくの間に身にしみて教えられてきた。これがまた、とてもとても、つらい。

岸田首相はたしか正月休みをとっていたはずだ。自宅で私のように新聞読んで寝ころがって過ごしていたとはとても思えない。この政府は大きな災害や危機が起こるたびに、仕事をそっちのけで宴会にうち興じていたという報道が、これまで何度もなされて来た。それをあらためる気配も大して見えないままだった。
 まったく勝手な妄想で、ちがっていたらおわびするが私は首相以下の要職の方々が、この正月休みに贅沢な料亭で食事の予約をしていないはずはなく、たかが地震や津波や生き埋めや火事ぐらいで、たいがい高価なその種の予約をキャンセルする勇気があるのか、疑わしいとしか思えない。そのことがもう情けなくてしかたがない。

上の家の玄関に飾った、うちの中では一番ありふれた、古くからある小さな龍に、せめて何かを守ってくれと願いをかけている。大変な年を受け持つことになりそうだけど。

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カツジ猫