何もそこまで。
◇ずうっと昔に読んだので、記憶は定かではないのだけど、新井白石が「折たく柴の記」で、尊敬してたお父さんの言葉として、「年をとったら、よほどしっかりしてないと、若いときならうっかりミスですんだものでも、年を取って同じことをすると、ぼけてしまったと思われるから」と(もちろん、もっとちゃんとした言葉で)書いていたのを覚えている。
私の家の庭は、特に古い方の裏庭は、草ぼうぼうで荒れ果てていて、一年に二三回思い出したようにちょっときれいになる。業者の人に頼んだり、私が自分で刈ったりして。
どっちみち、後ろの崖の上にある大きな栗の木から実が雨のように(いがつきで)降って来る前までには、一度きれいにしておかないと、いがが土に埋まって、そりゃもう、ひどいことになる。
しかし、新井白石のおやじさんではないが、若いときは「一人暮らしだし、忙しいし、常識ないんだろうし」ぐらいに近所の人も思っていてくれたかもしれないが、もうこの年になると、同じことをしていても、「庭を管理できない高齢者だから、そろそろ手放したらいいのに」とか思われそうで、あせる。
というわけで、今朝は、古い方の家の猫たちが住んでいるエリアを掃除したついでに、放っておいた裏庭の草木に手をつけた。
山椒も、樫も、ミツマタかなんかの雑木も、ぞっとするほど大木になっていて、もう知らんと思ったが、剪定ばさみで小枝を切っている内にのってきて、つんつるてんに丸坊主にし、おかげで金網の中の中庭(この金網エリアは、新しい家にも古い方にもあるのです)がすっかり日当りがよくなった。
◇でもそのせいで、洋服の整理が遅れている。何とか古い方の家の押入れに冬の服をしまいこんだけど、防虫剤を山ほど買ってきているのに、入れきれていない。
これで虫に食われでもしたらいやだなあ。封を切らない防虫剤が積んである横で、カシミアのセーターとか虫にやられたら、くやしい。
こんな時、これまた私は「平家物語」の源頼政の反乱で、退却途中に流れ矢にあたって亡くなった高倉宮のことを思い出してしまう。宇治で敗北して逃げる途中だったのだが、奈良の方から味方する僧兵の大軍勢が、もうすぐそこまで、ひしひしとやって来ていたのに、間一髪、間に合わなかったのだ。宮が死んじゃったから、僧兵の大軍も、そこから引き返すしかなかった。
子どもの頃、そこを読んで「わー、もったいない」と強烈に思った印象がまだ残っていて、こういう時にはカシミアのセーターが高倉宮みたいに見えてしまう。
あれ、何か新しい家の方で、カツジ猫がにゃあにゃあ言っている。ちょっと行って見て来るとするか。