傲慢な発想
世界中の不幸が、どこか自分の責任だと感じてしまう思い上がった神経が私にはあって、だから前にも書いたように、自分にとって最大の幸福は、自分以上に不幸な人や生き物がこの世にただの一人も一匹もいないと確信できて、なおかつ自分もそこそこ快適に生きられているという状況だと感じている。絶対に実現不可能な幸福だが、それでも、望むだけは勝手だとひらきなおっている。むろん、そういう私にとって、この数日はまったく、とことん、幸福ではない。
さらにもっと、そこまで言うかという発想が私にはあって、「神も仏もないものか」というほど救いようのない状況が続いて、「本当にこの事態を何とかしてくれる神はどこにもいないのだ」と確信したとたん、ほとんどもう反射的に「ええい、神が本当にいないなら、もうしかたがない、私が神になって、神がしなくちゃならないことをするしかないだろう」と思ってしまう。多分PTAや町内会の役員を、やけで引き受けてしまう気分にも似て。
そう思ったからと言って実際には何もできるわけではなくても、本当にとりあえず、そう思ってしまう。
毎日もう、これでもかというほどつぎつぎ襲いかかってくる、やりきれない状況に、最初は呆然とし、次にめいっていたが、本当に次第に怒りがわいてきて、それはもう、電気会社とか政府とかそういう相手の段階ではなく、しいて言うなら、こんなことをしてのける宇宙の悪意か無神経ともいうべきものに対する怒りで、本当に誰からどんなにバカと思われてもしかたがないが、きさま(その宇宙的何か)がそんなことをするなら、見ているがいい、私が被災者をひとり残らず、日本国民をすべて守ってみせる、という気分が、腹の底からわいてきて困る。見てろ、本当に、この私が人類を見捨てるなんて思うなよ。(誰に向かって、何に向かって言っているんだろう私は、まったく。)こんなに私が怒って、やる気になっていたら、神もびびるか、笑うか、同情するかして、少しは何とかしないだろうかという、いじましい計算も、心のどこか奥底には、ひょっとしたらあるのかもしれないが。
そんな途方もないことを考えている私にとって、この災害は天罰だなどとめめしいにも程があることをぬかす腰ぬけなど、相手にしているヒマもないという気分だが、まあどっちにしろ、被害をうけた当事者が「これは天罰だ」と言うならとにかく(それだって大いにまちがっているが)、第三者が言うべきことではないよな。それとも誰か愛する人が亡くなったかしている被害者なのだろうか、あの発言をした彼は、実は。
多分そうではあるまい。これまでの彼の発言や行動から考えて、第三者としてなおかつあの発言をしたのだろうし、そうであっても私は驚きも怒りも失望もしない。むしろ(いやらしい態度なのは百も承知で言うのだが)人々がそれに、どう反応するかに関心と興味がある。それでも彼を信じたり支持したりする人がまだいるのなら、神の代理人(と勝手に思ってる)にあるまじきことだが、ほとほと人類を見捨てたくなるだろう。
長くなりそうだから、ちょっと切る。