優先順位が決められない
2日の映画会は成功したし、映画もよかったです。
同じ日に京都市長選挙もあって、現職が当選するなど、こちらもいろいろ書きたいことがあるのですが、さしあたり、自分の今後(どれだけあるかは知らんけど)の中で、何を優先して行くかが、決められないまま日が過ぎて行っているのが一番困る。
もう少なくとも、ここ数年は、せめてはこの一年は、ずっと先延ばしにして来た不良債権みたいになっている大事な仕事をとにかく完成させるのに全力投球したい、と、そこだけは決まっているのですが、それをいろんな人に説明してわかっていただくのに、もはやまだ半分も説明がすんでないのに、もうバテそう。
断捨離じゃないけど、こういうのって、わかってもらおうとかしちゃいけないのかも。問答無用で以後絶縁状態になってもいいから、ばっさり断りまくるのが正しいのかも。
で、まだちっとも何をどうするべきかわからないでいるのだけど、その過程で、がおーっとムカついて、思考停止して、結局考えが進まなくなる三大要因を節分だし、厄落としのつもりで書いておくか。
これ海外ドラマ「セックス・アンド・ザ・シティ」のキャリーが何かのときに言ってたように、人に言われると言うよりは、私が自分で思ってしまってるって要素もあるんですけど、でも私がそういう風に思ってしまう原因には、たとえ口に出さなくても何となく周囲がそう思ってるのがわかるってことも絶対あると思うんだよねー。
というわけで、誤解されやすい、わりと言われそうなこと。
その1。「もう、簡単でいいんですよ」「わかりやすい、やさしい話でかまわない」「ちゃちゃっと気軽に走り書きしていただければ」みたいな頼まれ方。
あのさ、大論文とか、超専門的な難しい講演は、ある意味やりやすいし、簡単なんです。短い文章で、わかりやすく、読みやすく、誰でもわかるように、そして面白く、テンポよくリズムよく、何の苦労もないように書く文章や、しゃべるスピーチが、実は一番難しい。少なくとも私はそう。
書き出しやきっかけをつかむだけでも数日かかって悶えたりする。長々書いた文章を八割がたばっさり削ったりする。一語一句を選択して推敲する。下手すりゃ本一冊書くよりもチラシ一枚作る方が神経をすりへらし、時間をかけるの。しゃべるのも同じ。やさしい、楽しそうに気軽にしゃべくってる話の方が、よっぽど工夫もエネルギーも使うんですよ。
「お忙しいのはわかっています。だからもう準備や時間をかけなくても、簡単にやさしく、ささっと何か書いて(しゃべって)下されば」とか頼まれることって、けっこう多いんですよねこれが。
しかも、こんな仕事して一番いやなのは、しょせん磨くのはテクニックだけですから、何の蓄積にもならず、その後の仕事の役にも立たない。
あげくのはてに、そうやって簡単に書いた文章だからと思われて、この人はこんなもの、いくらでもいつでも書けるんだろうから、気軽に扱ってもいいと思われて、あっさりボツにされて使われなかったりすることもザラ。もちろん一円の収入にもなりません。ネトウヨがさ、反アベの集会に来る人たちは、金もらって来てるんだろと言ったり、ネットで現政権の擁護したらいくらかもらえるシステムがあるらしいという話を聞いたりするたびに、私は自分が地獄の底にいるんじゃないかと思ったりする。集会行ったり文章書いたりして何か報酬もらえるなんて、そんな天国に行ってみたいよまったく。
あ、その2と、その3は、時間がなくなったからまた書きます。