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優先順位が決められない(これでおわりです)

言われそうだと思っただけでムカつくことのその3は、その2と、まあ連動するんですけどね…。

その3。「忙しいとか集中したいとか言って、つきあいをサボるわりには、映画見たり漫画読んだり、けっこう遊んでるじゃないか」

まず、映画や漫画や小説やコンサートやイベントは、私の仕事の一部である場合が多い。歌舞伎とかだとわかりやすいけど、それでも遊びとしか思わない人がいる。ましてや、一見しょうもないコミックやDVDを見まくっていると、どこが忙しいんだ暇じゃないかと、まあ反射的に思う人は多いでしょうね。

私は映画演劇イベントその他は、遊びで楽しみで十分だし、何の役にも立たなくてかまわないと思っています。しかし残念ながら実際には、ほとんどが私の老後に考察して、できたら論文ぐらいにはしたいというテーマに直結しています。ぬれぎぬだの脇役だの女性問題だの、その他いろいろ。研究材料なんですよ、ほとんどが。

しかし、かりにそのことを考えなかったとしても、私はこうやって私が遊んでいるぐらいなら、自分たちとつきあえ、いっしょに何かをしろと言われるのは不本意です。

貝原益軒は、自分の楽しみに読書と旅行をあげていて、その理由はどちらも「自分ひとりでできること」だと述べています。これはまあ、彼の性格にもよるし、それがいいかどうかはわからないことですが、私の感覚もこれに近くて、本当に楽しいのは一人で何かすることです。人といっしょに何かするのも嫌いじゃないし楽しいけれど、それはやっぱり、エネルギーやパワーがいるのですよ。

もちろん、老後にそういうエネルギーやパワーを使う楽しみも悪くはないのですけれど、私がたとえば不良債権みたいな仕事に寝食を忘れて全力投球しなくてはならない時に、一番時間と労力を無駄にしない気分転換や骨休めは、映画にしても読書にしてもスポーツにしても、一人でいつでも、やりたい時にやる方が、一番時間の節約だし、効率もいいんですよ。

多分、私はこのブログにこれからも、猫と遊んだり、くだらない本を読み漁ったり、ネットでしょうもない記事を読んだり、そういう、つまらないことの限りを書き散らかすと思います。でも、そういう時に、「そんな不毛な、くだらないことしてるぐらいなら、自分とつきあってくれればいいのに」とか、「そんな時間があるぐらいなら、集会に出たりデモに行ったり、ボランティアしたり、もっと有意義なことをすればいいのに」と思われても困るんだよね。

私なりに有意義なことはしてるんですよ。世の中の役に立つんじゃないかと思うことを完成させようと日夜努力をしてるわけです。朝から晩までそれをやり続けて死んでも、別に悔いはありません。淋しいとも虚しいとも、ちっとも思わないです。
ただ、「その2」で書いたように、それになかなか全力投球できなくて、いろいろ邪魔が入るわけです。病気にもなるし、家事もある。確定申告にも行かなきゃならない。そんなこんなで中断されて、イライラして、ストレスがたまるから、その解消にくだらないことをして息抜きしているだけです。

すごく、まちがわれやすいと思うけど、研究や仕事に倦んだり疲れたりしてるんじゃない。それから逃げる気分転換なのじゃない。それに専念できないこと、集中を乱されることにぶちきれて、イライラして、それを静めるために気分転換してるだけ。だから、アホらしくて無意味なほどいいんです。恋人とベッド・インしたり、親友と盛り上がったりするのじゃだめなんです。それはもっと余裕がある時に、どっちかと言うと前向きにちゃんとやりたいことで、疲労回復やストレス解消に使うことではないから(私は何と真面目なんだろう)。

でも、そんな余裕が生まれるかどうかはわかりません。はっきり言ってもう私、社会や人間との関わりは、よっぽどのことがない限り持ちたくない。とにかく今かかっている仕事を片づけるまでは、ほとんど死んでいるのと変わりません。

だったらもう、いっそ、何も書かずに引きこもれ、と言われそうですね。実のところ、それもかなり考えたのですよ。今も考えています。
ただ、わずかに交流のある友人知人は、このブログを私の生存確認に使っているふしもあるし、私も一日一度は声を出して人と話したり、文章を書いたりしておかないと、右脳も左脳も動かなくなりそうなのでね。

そうは言っても、こうしてあれこれ書いてる暇に仕事を進めたらどうかということは私も思っているわけで、そのへんを、それこそ優先順位としてどう考えるかの結論を、早く出したいものだと思っています。

さしあたりまとめますと、とりあえず言っておきたいことは、次のようになりますか。

1)話すにしても書くにしても、「かんたんに気軽にやってるように見える」ものの方が実は重労働なのです。

2)短い時間の束縛でも、今の私には大被害を生むのです。

3)遊びや楽しみに見えることは、皆、仕事に戻るために必要不可欠なただの作業もしくは医療行為にすぎません。そこに他者を介在させる余地はありません。

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カツジ猫