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六年生の夏(2)

7月には31日があって助かるなあ、仕事の予定がだいぶ助かるとか、ほくほくしていたら、明後日のはずの用事が明日だったのに気がついて、ぎょっとしてあわてている。

今日も一日暑かったが、六十五年ほど前の夏は、こんな風だったようです。当時の私の日記から。

7月31日 木曜日 天候◯ 温度29度 起床六時0分 就寝十二時二十五分

宇佐のお祭が始まったので、私は安本さん、つるさん、松本ひろ子ちゃんの三人と一しょに、九時の汽車で宇佐へ出かけた。橋津から、さとうよしみさんと、あべまさあきさんとが乗って来た。何べんか声をかけたが気づかなかったらしい。駅に着くと、安本さんが、「まず氷を食べよう。」と提案した。そこで清原でみつかけを食べた。安本さんは大きな声で「おいしいなあ。この氷は。見て、こんなに一ぱいついである。景気がええなあ。それに、みつもたっぷりかけてあるし、いや、もう、よその氷とは比べもんにならん。これで同じ15円ちゃなあ。」と、さんざんほめあげ、外に出るが早いか「あんなに、ほめてやったんに、一銭もまけてくれん。ああ、ほめてそんした。」と言った。次に、上宮にお参りした。すると安本さんは、「おさいせんは、一円でたくさんじゃ。」と一円だけ出した。それでつるさんも一円だけ出そうとしたが一円玉がない。すると安本さんは、「うちがやろう。」と言って、皆に一円づつ配った。で、私たちはおさいせんは一円だけですました。帰りに、こじきがすわっていたが、私たちは、働くならともかく、ただすわっているだけでもうけるのは悪い事だと思ったから、通りすぎてしまった。それから駅の通りをブラブラ歩いたが、もうサーカスを見た方がよかろうと言うので、サーカスの方へ歩いて行くと、まだ三分と立っていないのに、さっきお宮にいた歩くのも、やっとと言うかっこうのこじきが橋の上にいたので、私たちは顔負けしてしまった。サーカスは面白かったが、ざぶとん代を十円とられたので後味が悪かった。
帰りがけにつるさんは、「うち、今日、親類にとまる。」と親類の家に行ってしまった。三人で帰ろうと、駅の近くまで来ると、今度は松本さんが、「あっ、そうそう、うち、おみこし見るわ。あんたたち帰ってもいいよ。」と言い出したので、私は安本さんと二人だけで帰った。

宇佐神宮のお祭りは、今も同じ日に行われてるはずです。母が、「このお祭りの時が一番暑い。それが過ぎたら、ちょっと涼しくなる」と毎年言っていたのを思い出します。「清原」は、ひょっとしたら今もあるんじゃないかな。老舗の食堂でした。(ちなみに、私の高校時代の親友のおうちも、この通りにある老舗です(笑)。多分、ここ。)

汽車と言っても、当時は軽便車(私たちは「けいべん」と言ってました)のガソリンカーです。

それにしても、当時がそうだったのか私たちがそうだったのかわからないけど、何だかさばさばしたつきあい方ですね。適当に別行動とってるし。
 差別的な用語も出て来ますが、時代を反映した資料ということでご了承下さい。それにしても、かき氷は15円だったのか。

写真は宇佐神宮の参道。上宮の入り口から下を見下ろしたところ。実は私は、お神輿を見たことがない。ここを下って行くのかな。

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カツジ猫