六年生の夏(9)
熱波の中で高校野球が行われている。ラジオで聞いていると楽しいが、いろんな人が指摘しているように、この暑さの中での大会は本当に危険だ。これだけ熱中症に注意と呼びかけながら、この催しを放置しておくのはいくら何でも矛盾がすぎる。
それにしても、母も私も高校野球のファンだったはずなのに、この日記にはその記事も出て来ないのが不思議だ。
出場校の校歌を聞いていると、昔ながらのものとまじって、ものすごくおしゃれなものや、わかりやすい歌詞のものが増えていて、時代の流れを感じる。勝者の側の校旗掲揚の時のアナウンスも今は「同校の校旗を掲揚して校歌を演奏します」みたいにわかりやすくなっているが、これもずっと「校歌吹奏裡に校旗の掲揚を行います」だったよな、たしか。わりと最近までそう言ってたのだが、あの「吹奏裡(すいそうり)」の「裡」の意味がわかっていた人はいったいどれだけいたんだろう。「うちに」「その間に」ってことだけど。私もかなり大人になるまで何のことだかわからなかった。
あれを平気でずっと続けていたんだから、熱波の中の試合もよっぽどのことがなければ当分このままなのか、とつい悪い予想をする。「裡」よりもこっちの方が急を要することなんだろうが。
8月7日 木曜 天候◯ 温度27度 起床6時0分 就寝9時50分
学校に行くとちゅう、橋の所でさくらいさんに会った。二人でおしゃべりしながら、ブラブラ学校まで行った。宇佐までは汽車で行ったがもうもう満員で身動き一つ出来ずおまけに車がゆれるたびに皆が右に左にたおれかかるのではしの方に居た私はもう少しでつぶされそうになった。これではいい字が出来そうもない。宇佐の学校は山の上、と言っては言いすぎかも知れないが相当高い所にあったので登るだけで一苦労だった。でも字は案外いいのが出来た。帰りがけに清原で氷を食べた。もちろん提案したのは安本さんである。安本さんは氷を食べながら、「鼻にできものが出来たからおきゅうをすえられた。いい事は一つもないなあ。」と語る。私が、「鼻におきゅうすえるの。」と聞いたら「いいや、手にね。」と言った。「手におきゅうすえて鼻のできものがなおるなんて聞いた事がないね。」「そうなんよ。でも駅通りの人は、何かあったらすぐ、これよ。」「へええ、又あほらしいこっちゃね。」そのとき、つるさんが私をつっついて、もう出ようとささやいた。で、おきゅうと鼻のできものの話はそのままお流れになった。家に帰ってしばらく遊んでいるといきなり福岡のおばが入って来たのにはおどろいた。おばがこしを下ろすが早いかひっきりなしにしゃべり出した。夜、来るはずだったがひまだったので早い汽車で来た。せいぜい五日位とまって帰る時、耀子ちゃんを連れて行く。と一息にしゃべって、耀子ちゃんにおみやげと言ってきれいなかごをくれた。それから料理を作ろうと言って、台所へ飛んで行った。夕食はおばがうでをふるっただけあって、すばらしいものだった。赤や黄色や緑のやさいや肉などがおしあいへしあいしていた。私はつい、三ばいもおかわりしてしまった。長く起きていたかったが、明日、図画の講習があるので早くねた。
「駅通り」は集落の中ではむしろ都会的な場所だったが、そこでも民間療法としての「お灸」は普通に行われていた。もぐさを載せて線香で火をつけるので、私は見たことはないが、級友たちはよく家で、文字通りお灸をすえられていた。
女医だった叔母は、わが家の経済的な支柱でもあったかもしれない。ぜいたくで華やかな都会の生活をいつも運んで来てくれた。翌日の日記を見ると、私より二つ年上の従姉もこの時いっしょに来ているようだ。もうひとりの従姉も加えて私たちは三人娘で仲好しだった。
習字の話はこの後はもう出ないようなので、昨日、安物の額に入れてあちこちにかけてみたものもふくめて、多めに紹介しておこう。多すぎるかな?(笑)