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六年生の夏(8)

もう何十年も前、ロシアがまだソ連だったころ、友人とシベリア旅行のツァーに参加した。日本語が堪能なソ連の若い男性が現地のガイドをつとめてくれて、いろんな説明をしてくれた。
 彼は日本のことにも詳しくて、ある朝私たちと会うと「今日は原爆が落とされた慰霊の日ですね」というようなことを言った。私と友人は、「あ」と顔を見合わせ、「そうね」と言ったものの、それ以上の反応ができず、彼はどう思ったことだろう。実際、平和運動をしていた私も、社会科教師の友人も、そのことをまったく思い浮かべもせず、忘れきっていた。

そして、この私の日記にも、原爆投下に関する記事は一言もない。長崎出身で、原爆投下についてはむしろふだんから、よく話す一家だったのに。世界情勢や週刊誌の記事について、飽くことなく母と語り明かすこともよくあったのに。原爆投下後の写真を載せた「アサヒグラフ」の写真について、幼い私にちゃんと話をしてくれていた母なのに。

おそらく、その当時、マスコミではかなり大きく原爆のことが取り上げられ、いろんな行事も行われていて、逆にそういう「その時だけ騒ぐ」ような風潮に、どことなく家族も私も反発して距離を保っていたのかもしれない。詳しいことは思い出せないのだが、そのくらいのことしか思いつけない。

8月6日 水曜 天候◯ 温度28度 起床6時0分 就寝10時10分

明日が習字大会なので母が気味の悪いほどやさしくしてくれる。三十年前から好きだったとか、あんたのようないい子はいないとか、さんざんほめあげた末、「だから習字の練習しなさいね。」とねこなで声で言うのにはおそれいった。練習をして見ると今日はなかなか調子がよくだいぶいい字が出きた。そろそろかたづけようとしていると安本さんが来た。いやに深刻な顔をして「おじちゃんは?」と聞くから「いるけど何か用?」と聞き返すと「鼻にできものが出来たけん見てもらわなならん、きらいじゃあー。」とため息をついている。私は岩下さんをよんで、こうやくを、つけてあげてもらった。安本さんに「いい女になったやないね。」とひやかすと「そういいなんな」とあわれっぽい声を出していた。

「おじちゃん」と言われてるのは私の祖父で、村医者だった。小さな医院を経営していて、岩下さんというのは、たしかその時の看護婦さんだった。
 なお「いいなんな」というのは方言で、「いいなさんな」という意味である。

写真は、私の母。場所は国東半島の陰陽神を祀った、海岸近くの小さな神社(伊美別宮宮社)。何度か車で行ったから、私が大人になってからの写真かと思うが、雰囲気はこの日記の当時とあまり変わっていない。

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カツジ猫