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内なるDV。

◇夜食はきゅうりのサンドウィッチあたりで軽くすませようと思っていたのに、チケットを買いに行ったセブンイレブンで、どうってことないおにぎりセットに妙にそそられて買ってきてしまいました。どうもこのごろ、コーラとかおかしなものをむさぼりたくなる。

来週は知り合いの方が家の片づけの手伝いに来て下さることになっているのだが、どのように手伝っていただくか、いろいろ考えておかなくてはならないから明日はまた忙しい。

◇書こう書こうと思ってヒマがない、小説「手のひらの砂漠」のことだけど、確認したらやっぱり私が覚えてた以上にはっきり、危険思想を表明しておられましたよ、作中人物は。DV夫の暴力に対して、「理不尽には理不尽で対応するしかない」と断言してるのみか(以下ネタばれ)、「後悔は罪に服したこと。償う気はなかったし、償うべきでもなかった」と、罪に服して償った人が言ってるの、すごくありませんか。そしてこれが、読者に何の抵抗もひっかかりもなく見逃されて受け入れられていることに、ほんとに私は感動します(笑)。

特に、Kumikoさんのツイログが最近ずっと告発している、真空パックに女優を閉じこめて撮影するAVに象徴されるような、救いがたい日本の現状、女性や弱者や動物に何をしても強く批判されない現状の中では、「手のひらの砂漠」の言ってみりゃ戦闘宣言、テロ肯定は、けっこう重い意味を持つんじゃないでしょうか。

http://twilog.org/Kumiko_meru

◇DVって、肉体的なものだけじゃなく、精神的なものもあるわけですが、これは案外身近にも存在していて、いや実は私自身もときどきやってるので冷や汗ものなんですが、自分が突然切れたり不機嫌になったりすることで、まわりをびびらせ、その場を支配し、次第に皆が楽しい雰囲気を壊さないために、いつも自分の顔色をうかがうようにしむけて行く人って、世間に案外多いんですよ。最近学生とつるんで遊ぶこともないからわかりませんが、昔いっしょに飲んだり食べたりしていたころには、学生にもときどきいましたね、そういう人が。

個人でもグループでも、傷つけられまい不愉快にさせられまいとして、はれものにさわるように、いつもその人の顔色や心情を配慮しながら暮らしてしまい、それが習い性になるって、DVの基本形態は私もしばしば見聞しました。そしてDV夫のこれも基本であるところの、「ひどいことしても、その後でとても優しくなって親切になって魅力的になるから、許してしまう」ってのも、そういう人って皆みごとにその通りです。魅力の度合いは人それぞれでも(笑)。自分でそれをよく知って、ふるまうところも皆同じです。

くり返すけど、私自身も、そのテクニック使うことがあるからなあ。自分でもうんざりしながら白状すると、そのためにせいぜい魅力をみがいたりもしますしね。
まあよっぽどの非常事態に限りますが。できる限りつつしみますが。アル中やヤク中なみに、禁じようとも努力してますが。自分でもこれはいかんと自覚だけは常にしてますが。

◇ただ、またしても、ややこしい言い方をすると、私が自分のそういうところを改めよう禁じようと思うのは、私自身が、そういう人が周囲にいると、恐いからでも好かれたいからでもなく、このバカがとさげすむあまり、ちゃっちゃとその人の好みに合わせて、気に入る事を言ったりしたりしてしまうからなんですよ。

それじゃDV夫の奥さんと同じじゃないかと言われると、それはちがう。私は自分が恐いと思ったり、尊敬したり、好かれたいと思ったり、評価されたいと思ったりする相手には、ものすごく緊張してわけわからなくなるので、絶対にしちゃいかんことをしたり言っちゃいかんことを言ったり、要するにへまをしまくって何の魅力も発揮できません。相手は多分そんなことわからないから、ちっとも私を好きにならないし評価もしない。悲劇よねえ。

しかしこれが、どうでもいい相手だと私は自分でもホステスナンバーワンまちがいなしじゃないかと思うほど、相手の好みや望みが手に取るようにわかります。いくらでも気に入る事をしてやれるし言ってやれる。小出しにもできるし大盤振る舞いもできる。何しろ相手を何とも思ってないですからね。恐いもの知らずですよもう。

◇私と、多分相手にとっても最大の不幸は、当然ながらそういう場合、相手は私とすごく気が合って理解しあって、下手すりゃソウルメイト級に近い存在と思いこむ。そして何かのはずみに私がそうじゃないと気づくと、ものすごくショックを受けて落ちこんで、最悪の場合逆恨みする。「あんたのそういうところに、初めて気づいたときには、ぞっとする」と言われたこともありましたっけ。

だから何かと危ないから、そういうことやめようと思ってる、でもないんですよ。私の場合は、もう一つ屈折します。もうね、こういうこと考えてると、恩田陸や湊かなえの小説が描く登場人物の心理状態なんて、時々ちょっと、おもちゃに見える、とか言ったらファンに怒られるかしらん(笑)。
自分でも気づかない深層心理に分け入ってみると、私は心の底では、そうやってショックを受けて恨む相手に対して、「だって自業自得だろうが」とせせら笑ってるふしがあります。不機嫌になったりかんしゃく起こしたり、その一方で魅力をふりまいたり、要するにアメと鞭で私をあやつり自由にできると思うなんて1億年早いよこのバカが、って心境でしょうね。要するに、力や痛みや鎖で私をつなぎとめておけると、ちらとでも思う人間を、私は決して許さない。容赦なんかする必要をどんな意味でもまったく認めない。

だから、自分自身が、そういう手段で、他人や周囲を支配しようとしていたら、絶対に誰かから私もいつかそんな目にあう。いや、私に配慮して私を快くさせてくれてる人の中に、すでにそういう人がもういるかもしれない。他人や周囲が私によせる配慮や好意や思いやりのすべてが、恐怖に支配されてのことなのか、本心なのか、私は決して見抜けなくなる。相手や周囲もわからなくなって行くでしょう。
私に言わせりゃ、その状況はかなり地獄に近いです。まあひょっとしたら、アベやスガの状況っていうのも、それに近いのかもしれませんが、そんなとこまで世話は見きれん。とりあえず、自分自身の心配だけしとくことにすると、そういうわけで、私はそういうDV夫風の支配は、絶対に身体の全細胞から抜いて行かなくちゃと常日頃から思っています。

◇おおっと、もうこんな時間か。今晩こそは早めに寝よう。

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カツジ猫