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原発

キャラママさん、じゅうばこさん

御二人の言われる様に、都知事の「天罰」発言は言語道断ですが、今一つ私が其れを責められないのは、此の私自身に此の災害は天ならぬ地球の怒りかも知れないと言う気持が何処かにずっと有るからでしょう。私も元来原発には反対でしたが此の十年程は関心が薄れて居ました。と言うより世の中の流れに無気力に成って居ました。目を反らし瞑って考える事を放棄とまでは行かなくても一時休止して居た様に思います。

今回の事故でニュース等の解説を聞き、地球温暖化の解決策として原発は世界で認められクリーンエネルギーと呼ばれる様に成って居た事を知って驚きました。人間の時間の基準では永遠と言って良い程長い期間危険性が消えない廃棄物を地中に埋める様な処置が必要な発電方法をクリーンと名付ける程社会は変化して居たのですね。

地球が怒ると言う発想ももしかしたら傲慢かも知れません。危険と言うのは人間や動植物の基準ですから、其の様な物が生きられない世界に成る事は、地球にとっては別に問題では無いのかも知れない。「死の星」に成ったとしても、人間や有機物以外の存在からしたら、其れは快適な理想郷かも知れないのだから。

此の様な言い方も冒涜ですから止しますが、核燃料の廃棄物というごみを埋め続けて快適な暮らしを楽しもうとする私達への地球の悲鳴が聞こえて来る様な気がする時が有ります。今回の災害で具体的にはまだ何の被害も私に及んでは居ませんが、其れでも此れはエネルギー問題を考える事を放棄して居た私への罰の様にも思えて、被災者の方々に申し訳無く私は苦しみ戦慄します。

現在の状況を考えれば現状維持もやむを得ない面が有るにせよ、矢張り何らかの意味でのより安全なエネルギーを人類は早急に見出す努力をしなくてはならないのではないでしょうか。若しくは少しでもエネルギーを使わなくて済む生き方を。

太陽光発電も其の方法の一つでしょうが、個人的には此れには苦い思い出が有ります。もう何十年も前、新し物好きだった祖父は進められる侭に我家の屋根に太陽光発電の設備を取り付けました。初期も初期の頃だったからか、一向に効果は無く、やがて水漏れがして湿った屋根裏の木にシロアリがつき、修理しても家は元に戻りませんでした。

祖父は此の家を昔、人から買いました。其の人が贅を尽くして建てた家は材木一本も慎重に吟味して有り、隅々まで生きて居る様な風格が有って、祖父の代にはもう古く成って居ましたが、幼い私は深く愛して居ました。今、あちこちが歪んだ此の家への愛も変わりませんが、此の家を此れ程傷付けた太陽光発電を好きには成れません。

祖父も亡くなり私が家を管理する様に成って何度か太陽光発電を勧めに業者の方が来ました。私は何時も断って居ましたが、とうとう或る時「昔、設置して居たけれど水が漏れて家が駄目に成ったから」と言いました。
今思えば業者の方としては無理の無い反応だったかも知れませんが、其れを聞いても全く動揺を見せず即座に「昔の古いのはそういう事も有ったが今は違います」とむしろ勢いよく言われた様子に私は怒りと絶望を味わいました。別の業者も同じ反応で、似た事が数回有って、私は開発の過程で出た犠牲に同じ業種として気分だけでも何の責任も感じて居ない職種の方々に関わるのも嫌だと思いました。

今回も被災の中いちはやくと言いたい程に太陽光発電のチラシやパンフレットが郵便受けに入って居るのを見ると、偶然に過ぎないのかも知れませんが昔と同じ鈍感さが此の方面の方々には有るのかと勘繰りたく成ります。原発は決して支持しない私の筈が、ふとあれだけ醜態を晒して居る原発を庇いたく成ります。こんな感情論は新しいエネルギー開発には障害でしょうか、それとも大事な要素でしょうか。其れも今私には分かりません。

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カツジ猫