去年の餅。
◇さっき庭から戻って来たカツジ猫の背中をなでたら、しっかり雨でぬれていた。あー、外が暗いと思ったらやっぱり降っていたのか。昨日は日帰りで田舎に帰り、物置きを居心地よくかたづけて、白アリが食い散らしたあとの(もう修理と予防はしっかりしたのだが)ぼろぼろのごみの堆積を、えいっ面倒なと全部車に運びこみ、今朝お天気がよかったら、こっちの庭でしっかり分別してごみと古紙に出してやろうと思っていたのに。
◇しょうがないから、ベッドにひっくり返って、「博多豚骨ラーメンズ」の4巻を読み終え、5巻にかかっている。このシリーズのいいのは、いろんな伏線をかけらまできちんと回収してくれることで、あたりまえなのだが、もはや執念ではないか神経症ではないかと思うほど、それが完璧にできているのが、すごく心地よい。その一方で主人公たちの日常が殺人や拷問にあけくれながら、非常にのんきにだらだらとしているのも実に快適。基本のモラルがしっかり確立されているから、こういういたずらもできるのだなあ。
◇「真夜中のパーティー」のDVDを惰性で何度も見返して、主人公のマイケルの自分が肯定できない心の闇の深淵を痛感し、一方でそれぞれに開き直りながら激しい戦いを続けている他のメンバーのカッコよさも再確認する。ユダヤ人のゲイのハロルドの冷たい鋭いカッコよさにも、あらためてほれる。ハンクとラリーのゲイカップルの、片や教師でまじめなタイプ、片や芸術家で浮気肯定の激しいぶつかりあいを見てると、エイズの時代のゲイの若者たちが主役の「レント」との相似性も浮かび上がる。あの映画では女性の弁護士と芸術家のカップルが同じ対立をすごい歌唱力で歌いあげるのだが、その両方の女優が、それぞれまったく歌わないで演技だけで「プラダを着た悪魔」や「魔法にかけられて」で重要な脇役を演じていたのには、才能やチャンスの一極集中がそこまで過激でいいのかと腰を抜かした。「レント」のDVDはたしか持っていたので、また見たくなる。ええい、今日は東北紀行についてのコメントも書かなくてはならないのに。
◇つくづく思うのだけど、この年になると、もういやなことはほぼ何もしなくていいので、毎日やることが好きなことだけに限られて来る。だから、どれもやりたくて時間がたりなくてあせる一方、人づきあいでも仕事でも、いやなことをしないでいられるから、人間として成長発展の余地がない(笑)。身体も心も頭もなまくらになって行きそうで不安な一方、もう本当に好きな人や好きなことだけに残りの時間はささげて、そこから得られるもの作れるもの、そこに与えられるものに全力投球する方が絶対効率的なだけじゃなく、良心的でもあるんじゃないかとも思ってしまう。
◇食料品の棚を片づけていたら、去年の丸餅がいっぱい出て来て泡を食った。密封してあるので無事そうだが賞味期限はひと月前。捨てるのも罰当たりな気がして、家事万能の友人にハガキで聞いてみた。そうしたら私のケータイの着信音にしているウグイスがけたたましく鳴いて、庭仕事の最中の彼女から、「まったく問題ない、食べられる」とのメール。しかし正月の雑煮にするのはあんまりだから、しばらくキナコ餅にでもしてデザート代わりに食べようか。
◇田舎の家を今借りていただいている方のお宅には、とてもおとなしくて食べちゃいたいほどかわいい中型犬と、すごく強そうな猫がいる。どっちも女性(笑)だ。
犬さんの方は行くたびにソファの上からすりよってくれるのだが、猫さんは警戒して一目散に逃げる。その逃げ方が、ものすごく足腰が強そうでバネがきいていて、見送りながらほれぼれする。
昨日は飼い主の方が、抱いてきて近くで見せて下さった。すごく大きくて私を無言でにらんで、もがいて飛び下りて逃げて行ったが、陽ざしの下で間近に初めて見られて満足した。目がまん丸で大きくて、顔の大半が黒茶で、とてもきれいでかわいいのだが、意志の強さというか面魂が顔にあらわれていて、ますますほれた。いいなあ、うちのカツジ猫なんか、会ったとたんに瞬殺だろうなあ。
◇大相撲では横綱の日馬富士の引退が決まったそうだ。私は忙しくてこの事件のことは詳しく知らないのだが、残念であると同時に、ここまで暴力に対して世の中のルールが厳しくなって来たことに感慨を抱くし、そこは喜びたい気持ちがある。
私は千秋楽の白鵬の優勝と、その後のインタビューはたまたまラジオで聞いていて、日馬富士たちを再び土俵に上げたいと言うコメントを、再び上げないと言ったと聞き間違えて、ふうんと驚いていたとんちんかんな人間だが、「上げたい」だったと後で知って、そうなると、そのことも含めて、初めて白鵬の姿勢や発言に違和感を持った。私は彼への否定的な評価や批判には、これまでまったく共感したことはないし、むしろ応援していた方だと思うが、彼が実力で認めさせてきたいろんなことは、認めさせてはいけないことも多かったのではないかと、初めて感じる。彼も含めたモンゴルはじめ外国出身の力士たちを攻撃し孤立させ団結させて、守るべきものは何かを伝えないままだった、広く言えば日本文化の、つけが回ってきた気もしている。何というか唐突だが、難民受け入れとか、そういう問題にもつながって行くような。異質のものをとりこんで、新しい伝統を作って行くことに臆病だと、結局は古い伝統も社会も皆滅びて行くしかないだろう。