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古い小説。

(ゆうべの夜中に書いたのですが、メンテナンス中とやらで更新できませんでした。一夜あけて送信します。今朝はいい天気。今から洗濯です。)
◇「アカシヤの大連」と「八十日間世界一周」(わかっていても、ラストはやっぱりどきどきするなあ)を読んでしまったので、ベッドでごろごろしながら読む本は、今はレマルクの「凱旋門」にしてます。その内少し難しいものも読みはじめやしないかと、自分に甘くて淡い期待をかけてます。「凱旋門」は、実家の書庫から適当に持って来たんだけど、めっちゃ古い文庫本で、多分私が中学のころに読んだやつでしょう。今みたいにしゃれたカバーなんかなく、表紙のセロハンと帯もすりきれて破れてぶらさがってるし、紙もシミだらけで、きちゃなくなってるし、でもね、ちゃんとヒモのしおりがついているのよ。これってお金がかかるらしくて、いつからか、文庫本ではなくなっちゃったんだけど。 だいたいそんなものだろうけど、私は中身を完全に忘れ果ててて、覚えてるのは最初の一行と最後の一行だけ、それも女はまっすぐに歩いて来たと覚えてたけど、斜めに歩いて来たんでした(笑)。あ、それと主人公が殺した方がよさそうな悪い人の手術をする(彼、お医者さんだから)場面というかエピソード。あとはもう、みごとに、なーんも覚えてなくて、だからなかなか楽しめます。 「三銃士」に、けっこうしつこくお金の話が出てくるので、「モンテ・クリスト伯」といい、これってデュマの特徴かしらんと思ったことがあったけど、「凱旋門」もものすごくロマンティックな男女の出会いなのに、すごく細かいお金の計算が書いてあって、これってフランス文学の特徴じゃあるまいなと思ってしまった。でも「チボー家の人々」とか「贋金づくり」とかは別にそんなんじゃないし。 それに、パリって私は行ったことないけど、映画やなんかで見るとほんとに美しい町のようだけど、こういう小説読むとその美しさって、日本の京都もそうだけど、戦乱や歴史にもまれにもまれた過去がきざみこまれて、しみついているのだなって、ふと思う。主人公初め登場人物たちのあてどない暮らしの毎日が、第二次大戦下の世界情勢と重なって、パリって決して幸福なだけの都じゃなかったんだと、しみじみ感じる。だって、スペインやらどこやらの政治体制が変わるたびに、負けた方の大物小物が亡命して来ちゃ、ホテル暮らしするんだよね。したらばホテルの女主人は、そういう客に合わせて、フランコやらレーニンやらヒトラーやら反対の立場の指導者の肖像画を、その人たちの部屋に掛けかえるのよね。ふだんは地下室にしまっておいて。そういう町でもあったんだなあ。 ◇老人ホームの母のとこに行って、例によって今日のニュースを聞かれたので、「安部首相のやり方に抗議してどこかのおじさんが焼身自殺したみたいよ、重傷らしいけど」というと、驚いていました。「しかしいくら腹が立っても、死んではいかんよねえ」と私が言うと、「そうさ、死んだら何にもならん」と母は大いに賛成しました。 10年ほど前、憲法を変えるとか何とかいう動きがだんだん盛んになって、世の中がどことなく、きなくさくなり始めたころ、母は田舎で、しょっちゅういろんな抗議活動や市民運動の代表者として名前を出していました。90歳近いし実際には何もできない老人なのに、何かの役に立つのだろうかと私があきれていると、母はいけしゃあしゃあと、「あんたね、このごろの世の中はおかしいから、こういう活動もいつ弾圧されるかもしれん。もしも牢屋に入ったり殺されたりするなら、私のような年寄りが死んだ方が無駄にはならん。立派な若い人たちを犠牲にしたらもったいない」と大真面目に言っていました。 寝たきりのまだら認知症になっていても、母の様子を見ていると、「死んだら何にもならん」のせりふにも「ただじゃ死なない、私の命は高く売りつけてやる」と言うパワーを感じて、ヘタレな娘はビビりました(笑)。 ◇では、カツジ猫が待っているので、そろそろ寝に行くことにします。彼は最近、新しいバスタオルが好きなのか、ベッドではなく、みけねこシナモンが使っていたひじかけ椅子にばかり寝ています。

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カツジ猫