君が代とりんごの的(3、これでおしまい)。
◇あ、あとひとつだけ。
君が代でも日の丸でもそうだけど、それが、この手の問題の一番救いのないとこだけど、テルと代官(ゲスラー)の場合でも、広場に立てた旗ざおの上の代官の帽子に敬礼しろなんて、こっけいだし茶番だし空虚だしアホらしい。
それでも、というか、それだからこそ、代官はそれをやらせる。それは彼がアホだからではなくて、そういうことがバカげていてこっけいだからこそ、民衆をいやがらせられるし、苦しめるし、ひっかけられるし、それが踏み絵やリトマス試験紙としての役目を果たすからです。
彼は民衆に愛されようと思っちゃいないし、愛してもいない。ただ、自分の力をためしたいし、見せつけたい。そして、この劇の場合の番兵は仕事にうんざりしていますが、実は、こうした番兵クラスで、自分の仕事を嬉々としてやる人はとても多い。世の中のために人のために、何をしたらいいのか、わからない、どうしたら人を幸せにできるのかわからない人にとって、さしあたり、こういうわかりやすい踏み絵で、人のいやがることをして反応をみて、権力で言うことを聞かせるのは、あげやすい成果で、充実感を得られるからです。錦の御旗をふりかざし、抵抗をおさえつける。こんなに、やりやすい、わかりやすい、判断力も能力も決断力もいらない仕事はない。
乱暴なことを言ってしまえば、私は君が代を歌わないとがんばる先生方だって、生徒の服装チェックだの、髪型チェックだのと、わかりやすい仕事をわんさとしてきたんだと思うし、時間がなくて仕事が大変だったとはいえ、そういうことをいちいち考えたりすることもなくやってきた、そういうことが、こういうことにつながってきてるんだとも思ってますけどね。もちろん、少しでもそういうことを真剣に考えてきた先生が、今歌わなかったりしてるってことも、きっとあるんでしょうが。