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君が代とりんごの的(2)。

つづけまーす。

この話、もう前提も証明も説明も哲学もなく、問答無用に、こんなことする代官は悪役です。ていうか、悪役はこんなことすることになってるんです。
まあ、この話に限らないけど、古今東西、すべての古典文学、児童文学で、こういう、愛情や尊敬を力づくで無理強いするのは、悪役に決まってます。それはもう、あたりまえのジョーシキ。縦型ロール巻きの髪型のお嬢さまは、少女マンガじゃ意地悪でわがままに決まってると同じくらいに、例外なしの、もージョーシキ。

それが悪役じゃない文学作品って、あったら、ぜひとも教えてほしい。たまにあったら、それは、どこかいびつで、ゆがんで、不幸な時代と状況の産物で、決して長続きはしない。そりゃまあ、長続きしないったってね、キリスト教の弾圧にしろ、そのキリスト教がやった魔女狩りにせよ、長いっちゃあ長く続いたし、いやんなるほど犠牲者も出したけど、しかし、結局はそういうことで得られた、よい世の中はなかったし、そういうことした連中はほろびて、評価もされなかったし、そして、文学作品は常に決してこういう存在の味方はしなかった。小説でも詩でも映画でも演劇でも。

これだけ人類の生み出した、あらゆる古典文学が、ここまで口をそろえて、「人にそういうこと無理強いするのは、悪役のしわざです、それは悪役の証明です」と言いきってきた価値観が、こんなに現実に浸透してないのかと、私はこの問題で何よりそのことにがっくりして、あとはもう、考える気力も失ったのだよ、常にな。
私にとっちゃ、こういうことするのは、まともじゃない、カッコよくない、幸福も招かない、というのは、議論の余地なんかもうまったくない、肌にしみついた感覚だった。

歌いたくないものを無理に歌わせる、頭をさげたくないものをさげさせようとする。それは、これまであらゆる文学の中で、特にわかりやすい大衆文学の中で、悪役がやってきたことです。最終的には敗北して滅びる人たちがやってきたことです。

私には、それだけで十分だった。それ以上もう何も言う気も考える気もしないほどに。そんなのは時間のムダって思うぐらいに。そんなことをしようとする人たちについて、そんなやつらの名前を思い浮かべるのも考えるのも語るのも、口が汚れる、脳が穢れると思うぐらいに。

◇あー、こんなこと書いてるから、「戦火の馬」や「ものすごくうるさくて」の感想も書く時間ないし、「シャーロック・ホームズ」の映画も見に行けないんだよなー。ちっ。

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カツジ猫