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壁の色とかコンセントの位置とか

◎家もだんだんかたちになって来て、私の判断が必要な局面が増えて来ました。ここをまちがえると、あとあと困るので、油断ができません。
先日は、洗面台をつけに来た業者の担当者が、取り付け位置その他を決めているとき、「ご主人に相談しなくてよろしいんですか?」と気にしました。大工さん二人は私に妙に遠慮したのか、宙をながめて知らん顔を決めこむので私は「いいのよ、私の判断で」と言うと担当者はとまどって、私ではなく大工さんたちの顔をうかがいながら、「すべておまかせ、っていう感じなんですかね」と念を押していました。

私が意地悪なら黙って、三人の様子を見ているのですが、おかしいし気の毒だったので、「私一人で、家族いないからかまわないのよ」と教えたのですが、担当者はどことなく、まだ落ちつかない顔をしていました。
知り合いの女性にこのことを話すと大笑いされ、「でも、たしかに女が一人でマンションを買うとかじゃなく、大工さんと話して家を建てるというのは珍しいかもしれない」と言いました。
なにごとも前向きに解釈する私は、つまり業者の人の目から見たら、私は夫や家族にあたたかく包まれて世の波風にあたることもない、幸福な奥さんに見えるんだろうなと勝手に解釈しています。(笑)

◎かの有名な中公新書「競争と公平感」を読んでいます。私には関心のあるテーマ、むしろ読まざるを得ないほど共通の問題意識があるはずなのに、しょっぱなからとことん読みにくい。問題の立て方といおうか、人生の価値といおうか、そういうものがまったく私と基準のちがうところで話が動いているのを感じます。こういう本が売れるということは、では大多数の人には私のものの基準や考え方はわからないんだろうな~と、あらためて実感しているところです。

中野三敏先生の新書も読んでいて、これはすべてわかるのですが、あまりに詳しく膨大な知識がさらさら書いてあるのを見ると、自分は何も知らないと思い、その一方で、でも学生や一般の方には私が知っていることさえも伝える機会や時間が十分にないという、この中間地点で私は何をしたらいいのかという、いつもの問いにつかまって、ぼんやり立ちつくしてしまい、前にも後にも行けません。

◎こたつの座いすを買おうかと、数年前の「通販生活」を見ていたら、浜岡原発を即時停止させようという記事が出ていて、地震や津波の危険が書かれており、ため息が出てしまいました。首都圏まで被害が及ぶ、という警告もちゃんとあって、やりきれない思いがします。

福島の米からセシウムが出たとか、格納容器から放射能が漏れそうだとか、どこかから漏れているとか、聞くたびに気が重くなります。それでも原発を再開しようという動きがあるのが、さらに憂鬱です。
「いいかげんにあきらめろ」と言いたいのですが、実際にはちがうのに、それは、福島の原発近くに住んでいた人たちにも何かをあきらめろと言ってしまうことにつながるようで、そこを、どう表現仕分けたらいいのか、まだよくわかりません。

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カツジ猫