声をあげて泣きながら。
◇タイトルはことばの綾でして(笑)、もちろん泣いてはおりません。
しかし、このひと月、会議や集会に出てばかりで、自分がどんなに何もできなかったかをあらためて考えていると、もう腹が立って腹が立って、ゆうべはとうとう一睡もできませんでした(笑)。
怒りで胸がつまって食欲までなくなり、さっきやっと少し何かを食べました。
一昨日会った友だちに、「無理してやればやるほど、無理ができると思われてしまうだけ。もうそんなのは金輪際やめることにした」と言ったら、「それ、うちの職場でもそう。仕事をする人、できる人のところに、どんどん仕事が集まって、今多分ほんの五人か六人で(何十人もいる職場が)回ってる」「今の人って、50代の人でも平気で『私それできません』とか言うからね」と言ってました。
オーウェルの小説「動物農場」で、「わしがもっと働けばいいのだ!」とすべてを自分が引き受けて、皆のためにつくした結果、身体をこわして食肉工場に売られてしまうまじめな馬がいるのですが、私は絶対ああはならない。
◇と言っても言うほどに、私は働いてたわけではないし、自分なりにできるかたちを工夫していましたから、それを認めてくれさえすれば、これまでか、それ以上もう少しはちゃんと皆のために何かをし続けただろうと思います。
でも、これは私の弱点というか逆鱗なんですが、「言われたこと、望まれたこと、宣言したことは、どんなに努力してもノルマを果たすから、この時間、この期間だけは確保させて」というのが絶対条件なんですよ。
今回、母の納骨、原稿の追いこみのために、絶対最低これだけは必要という時間を私はぎりぎり読んでいて、その間だけは自由にさせてもらうために、ものすごくいろんな無理をしたわけです。資料も作ったし、会議にも出たし、そうやって、ここだけは確保しておきたいというのを、ちゃんと伝えてもいた。
それが、いともあっさり蹂躙される。つまり、常時待機でいつでも呼び出しがかかったらかけつけるのが当然みたいな連絡が来る。私は消防隊員でもなきゃスワットでもナースでもない。何が悲しくて、この年になって市民運動や政治活動の専従職員扱いされなくちゃならないの。
ここだけは、自分の仕事や自分の精神世界に没頭し専念できるという体勢になってるときに、そんな呼び出しがかかると、断っても、もう気分がそがれて仕事にならない。かくして数か月準備して積み上げた努力は全部ムダ。がらがらすべてが崩壊する。
いいんです、言ってもわかってもらえるとは思わない。説明してる時間も惜しい。
母でさんざん思い知らされてます。使える人間は使い倒すまでやめない人には、抵抗したり交渉したりしてもすべて徒労。黙って去るしかありません。死ぬか去るか消えるかしなきゃ、絶対わかってもらえない。
◇私の特徴は、こう決めたらもう二度と後ろはふり返らないことです。いやもう、こんなこと言ってるヒマに、自分の仕事をして前進します。もう何があっても、もとの場所には戻らない。
ゆうべも今朝も嵐のような雨で雷も鳴っていましたが、今は陽がさして来ています。とっくの昔に書くべきだった母の保険や通帳の書類を書こうと思っています。当分もう、世の中の動きに私は何の関心もありません。