達成感なんかあるはずがない。
◇二月締め切りの原稿を一応書きあげたんですが、達成感とはほどとおい状況にあります。
もともと私は論文でも本でも、書きあげた時には達成感よりも焦りや不満や怒りしか感じない。せいぜいが、この時点で自分にできることはこれだけだとか、これを書けるのは私以外にいないからしょうがないという、あきらめや慰めでしかない。一番近い感覚では、(体験ないから知らんけど)ニシキヘビが皮を脱ぎすてて、ぼうっと脱力してる気分とか、戦場で傷だらけになって勝ったか負けたかさえわからず、ほうほうのていで草むらに倒れこんで、無数の傷口から流れ出る血を自分でぺろぺろなめているとか、そういう感じだ。
私の友人たちも、卒論を書きあげたとたん、嫌悪感にうちひしがれて資料を全部燃やしたとか、読み返すのもいやで吐き気がしてただただ落ちこんでいたとか、そういう人ばかりだった。何となく、それが普通と思っていた。今でも私はどんな論文でも本でも学会発表でもスピーチでも九条の会のビラでも、書きあげるたびに、しゃべり終えるたびに、自分の限界やおぞましさや不勉強さやいたらなさを見せつけられて、へたへたになる。人にほめられたら、ああ、うまくだまされてくれたなとほっとし、悪口言われたら、その程度しか見抜けなかったかとほっとする。そして、見抜かれない内に、少しでも先へと逃げのびなければと、疲れた身体に鞭打って、更に先へと足を引きずって進む。それをやめたら死ぬときだと、自分でわかっているからだ。
◇指導している学生も、昔はわりとそうだったような気がする。卒論発表会で、自分の論文に嫌気がさして絶句して泣き出した学生もいた(私が怒ったわけではない。だいたいそんなに悪い論文ではなかった)。それがいつからか、言っちゃ何だがどう見ても、別にそれほどではない卒論を、さも偉大な大作のように誇らしげに製本したり見せびらかしたりする者が増え、一方では出来がよくないと自覚していることを自分ではわかっていることを見せびらかすように、ことさらに卒論発表会でふざけあって見せたりする者も増えた。はっきり言ってどちらにも私は吐き気がしたし、一度はその後の懇親会の席を蹴って帰ったこともある。
ろくでもない卒論をさも立派なもののように誇るのも、ろくでもない卒論しか書けなかったのが自分にはふさわしくないことのようにふざけてみせるのも、どちらも私には理解できない。なぜ、そんな貧しいものを自分の成果と満足する。なぜそんな貧しいものを生んだ自分と、きっちり向き合ってそれが自分だと認めようとしないのだ。
それを言うなら、いつからか、学生たちは入学も卒業も結婚も恋愛も出産ももしかしたら死ぬのまで、人に認めて祝ってもらうのが当然のような顔をするようになった。私など、入学も卒業もうれしいよりも苦い思いや疲労が先に立っていたから、今でもよく覚えていないし、思い出したくもない。結婚や子育てはしなかったが、していたら多分同じだったのではないだろうか。
青春時代や大学時代など、今でも全然なつかしくないし、美しい思い出でもない。過去はいつも私にとって不愉快なもので、それから逃げよう忘れようとして生きて来ている。いつだって私には今と未来が最高だ。たとえ死を直前にしてもそう思うだろう。
◇そういうことが皆すべて、せめてうれしかったのは、「これで終われる。前に進める。切り捨てられる。忘れられる」だった。論文や研究に話を戻せば、完成したものの不完全さや醜さに泣きたいような思いをしながら、いつも唯一の慰めは、「明日はもっとよいものを書ける。この失敗はくりかえさない。もっともっと努力して、この今の自分からは逃げ出す。もっと先へ行く」だった。それしか救いがなかった。それを支えに生きて来た。
今、というか10年ぐらい前から私が何より苦しいのは、それができなくなっていることに自分で気づいているからだ。年とったからではない。頭や心や身体が弱ったからではない。どんなに少しずつでも前進していれば苦しくはない。ぼけて記憶力が薄れた分、老獪になり要領もよくなっているから、衰えたとも感じてはいない。
ただもう、圧倒的に時間が足りない。大学の多忙化、家の管理、家族の介護。それらをやっと少しずつ解決できて来たと思ったら、政治的社会的活動がどんどん時間を侵食するようになっている。
さすがに10年以上続けた九条の会の場合は、メンバーも私の状況を何となくわかっていて、それなりの配慮はしてくれる。だからこれまで何とか続けられた。
しかし、さまざまな組織や個人が網の目のように共闘して体制が大きく複雑になってくると、突発的な会議や仕事が舞いこんで、特に母の死後数か月間、私は何度も精神的にずたずたになった。
◇特に今回、原稿を書いていて、いつものように自分の限界や欠点を思い知らされると、せめて書き終えたあとしばらくは、瀕死の状態の自分をそっとしておいてほしいと心から願う。
そして、こういう時は被害妄想になっているから、どうせ、「論文を書く間、いろんな活動は休ませてほしい」と頼んでいるのが、サボっているとか楽しい仕事をしているとかしか思われていないのだろうなと思うと、全身が怒りで総毛立つ。
2月に母の納骨をしたときも、私なりにゆっくりと別れを告げ、淋しさや悲しみはないにしても、あてどない空虚感を一人で一日か半日は、そっと見つめていたかった。しかし、それさえ許されなかった。私自身が、それを自分に許せなかった。結局会議に出て、いろんな話し合いをしてしまった。
その時に充分にいたわれなかった、何かを無理にひきはがしたような傷口が、治るどころか、どんどん大きくなっている。
それに加えて、今回の、この原稿書きの苦しみが、また充分に癒されないまま、当然のように即時復帰を求められると、もはや私は、沖ノ島が世界遺産になろうが憲法が変えられようが原発が再稼働して事故を起こそうが戦争が起こって世界が滅びようが知ったことかという心境になってくる。
◇いくつかの誤解とまでは行かなくても、理解されていないことがあると感じる。
ひとつは、論文を書き研究をするということの死に物狂いの、本当に命を賭けた格闘がどういうものかということだ。
ひとつは、かりに政治や社会に関わる活動をするにしても、私はその格闘や戦場を手放したら、無力になり、戦う相手の対象と同じように堕落するということだ。私が学生や後輩や師弟に信頼されるとしたら、権力や地位や肩書や利害関係や親近感ではない。あってはならない。学問を通して、ちゃんとした仕事を通して、真