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夜中までには太らせるぞ

タイトル変更→「明日の夜までには太らせる」(笑)。

菱岡憲司氏の本の感想が、そろそろ大詰めで、まとめに代えて、彼が基調講演をする22日の国際集会に向けて、「江戸紀行研究の今後」について、書こうとしています。
 主催者の忘却散人こと飯倉洋一氏に、「今夜中に仕上げてアップする!」と大見得を切ったのですが、項目だけでもたいがい多くなり、今夜までには、ちょっと無理。

なので、とにかくもう、項目だけ並べて、あとは明日。ごめんなさい!
 ちなみに、順不同です。

○郷土史家、カルチャーセンターとの提携を。
 紀行に限ったことでもないが、とにかく人手が死ぬほどほしい。
 私は一時期、刑務所の受刑者の方々に翻刻や校正の作業をしていただけないだろうかと真剣に考えたことがある。

今は年金生活も厳しくなって、よく行くスーパーでも明らかにつらそうに作業をしている高齢者の方も多い。だから昔より難しいかもしれないが、まだまだ一般の方々の中で、郷土資料の研究を趣味でなさっている個人やグループの方はおられる。中には専門家以上の調査や作業をされている方もおられる。

そういう方から、論文を見てほしいと送っていただくこともある。しかしほとんど採用や発表までこぎつけない。どうしてかと言うと、論文としての形式や基本的な手続きがどこまでできているか、確認できないからだ。
 これは本当にもったいない。
 大学教員の中には、地元の方や一般の方と、古典を読む会などのいろんな活動をされている方がおられると思うが、案外、「専門誌の掲載に耐える論文の書き方」についての講座や研究会はないのではないか。一般の方の要望はさまざまだから一概には言えないが、そういう講座を作って、プロの研究者の養成をすれば、膨大な郷土史家の方々の層を、大学の研究者の戦力として加わっていただけることになる。

更に、変体仮名の普及も精力的に行われているが、私個人の体験では、初心者が変体仮名をマスターする一番手っ取り早い方法は、活字と変体仮名の本を見比べて読むことである。この点でも、一般の方々やカルチャーセンターで、紀行を読むのは効率的なはずだ。とりわけ地元の紀行だと、関心も知識も高まるし、そういう作品はいくらでもあるのだ。

○「奇談集」形式の紀行の持つ意味。
 紀行は、日記、歌集、句集、名所図会、奇談集、地誌、道中記などなど、接近するジャンルがものすごく多い。しかし、今、これらの用語を整理したり区別をつけようとしたり、あえて基準を設けてきれいに分類、定義しようとすることは、あまり意味がないというか、急ぐことではないと私は考えている。それは紀行研究が進めば、自然にわかってくる気がする。

ただ、その中で「奇談集」だけは別だ。これと「紀行」との関係や創作意識については、精力的に早急に追求調査して行く必要がある。
 江戸紀行の代表作の一つで、当時も近現代も比較的注目され紹介されてきたのは、橘南谿の「東西遊記」だ。有名すぎてかえって最近ではあまり研究されていない。だが、江戸時代の紀行作者の中で意識されていた、紀行観、紀行論の中で、この作品の持つ意味は大きい。

「奇談集」は、各地の珍しい話を集めたもので、「紀行」とは、そもそもの書型や装幀もまったく異なり、当時やそれ以後の目録でも「紀行」とは別項目に分類されていることも多い。それでも、紀行について語るとき、いつも自然に同列にとらえられて来た。この人々の自然な感覚を大切にしなければならない。

江戸紀行の主流というべき益軒や古松軒、久足の基本となっていた紀行創作の基本は「実際の旅の資料として役立つように、事実に正確に記す」ということだった。「奇談集」はその反対で「読み物として面白ければ事実でなくてもいい」というスタンスに立つ。実際に古松軒はこの点で橘南谿「東西遊記」を批判している。

だが、この「奇談集」形式は、もっと深い問題と関わる。紀行はある意味、各藩の内情に触れる情報を満載する危険な文学でもあるわけで、この方面の研究は社会的政治的な方面からの検討を進めていただきたいのだが、そのような機密情報を記録するにあたって、紀行作者たちがとった手法の一つは「奇談集」という形式だった可能性が高いからだ。

奇談集にもいろいろあるので、すべてがそうだというのではないが、どの作品にも、このような要素は何がしかはある。これらの作品が発禁その他の弾圧を受けたということを私は知らない。幕府の検閲制度はわりと鷹揚で、出版物には厳しいが「写本」なら、とがめられないということはすでに指摘されている。しかし、出版された場合でも「奇談集」という形式さえ取れば、それは免罪符となったのではないか。他の分野との研究とも協力すれば、きっと面白い結果が生まれる。

○各地で行われている旧地名の廃止への発言も必要では。
 各地で、地元住民の要望もあって、昔からの旧地名が、一見見栄えのいい(らしい)、「駅前」だの「大通り」だの、横文字入りの地名だのに変更される場合が多い。これは紀行研究の上で大変な障害を生むし、その土地の人々にとっても結局はあまり幸福なことではないのではないか。このことについて、紀行研究者は地方自治体に何らかの提言や発信をする場をできたら持つようにしておくべきである。

○歌枕に代わる新名所としての「古戦場」、あわせて軍記物との関わり。
 江戸紀行の特徴のひとつは、中世以前の紀行にはなかった「古戦場」が、従来の「歌枕」に代わって大量に登場して来ることである。江戸時代の人たちの軍記物や古戦場への関心は非常に根強い。このことについては、中世文学の研究者の方々とも協力して、今後の研究を進めて行くことが望ましい。

○現地調査で生まれるもの。
 私自身はほとんど、紀行作品についての現地踏査はしなかった。だからそれがどれだけの成果を生むかは見当がつかない。だが、実際には、これは大きな新しい方面の紀行研究を発展させると予想する。
 ささいなことだが、ときどき、紀行で左右の位置をまちがって記述しているものがあって、どうしてこういう誤りが生ずるかわからなかったのだが、どうやら、往路と復路で見たものを帰宅後に記する際の混乱ではないかと気がついた。そういうことも、多分現地で実景をみれば、もっと簡単に理解できるのではと予測する。

○ひとつの作品として、「文学」として鑑賞する姿勢。
 作品にもよるが、江戸紀行には社会や歴史の研究の上で貴重な資料となる記事が多い。だから、それで注目されて、紹介されたり評価されたりすることは当然だし、悪いことではないが、文学研究者としては、常にあくまで一つの作品として、まるごとのその魅力を紹介しなくてはいけないと考える。行程と日付を確認するだけでも、もちろんいいのだが、それだけではなく、文学としての評価をする努力を怠ってはならない。そのためには、現代の目でももちろんいいが、江戸時代の作家たちの見解や嗜好も参考にしなくてはならない。なぜ、それが読まれたのか、どこに人気があったのか、などなどを分析しなくてはならない。

○作者の文学活動の中での位置づけ。
 紀行を記する理由は、各作家にとって異なる。作者を知ることが可能なら、その人生や他の諸作品を通観して、その中で紀行制作が作者にとって何であったかの問題意識を抱きつづけることが欠かせないだろう。

○とにもかくにも、名作の発掘。
 まだまだ読まれていない紀行は多く、その中には多くの名作がある。著名な作品だけでなく、無名の作品を一つでも多く読んで、紹介して行く作業が急がれる。

○新しい名所としての「都会」見物。
 江戸紀行の一つの新しい要素は、初期の「名所記」ものに見るように、それまでなかった「都会」が観光や見物の対象となってくることである。遠隔地の「歌枕」ではなく、地方から繁華の地を見物する意識の逆転について、各方面からの研究が必要である。またその一方で、「田舎」「村」についての関心を主にした紀行も登場する。これもあわせて研究が必要である。

○災害文学としての紀行。
 軍記物に代わって江戸時代に読まれたのは、各種の災害の記録という中村幸彦先生の指摘もある。紀行の中にも、この種の記事が大きな役割を果たす。この方面の研究も必要である。 

○名所図会と紀行の関係。
 すでにかなりの研究がなされているが、名所図会の中には、紀行と形式や内容が重なる部分が多いものがあり、相互の影響関係や書誌関係は、今後もより多くの研究や調査がなされるべきだろう。

○東大南葵文庫の「東遊雑記」を貴重書に!。
 江戸紀行の代表作のひとつ、おそらく五指か三指に入る、古川古松軒「東遊雑記」は写本で普及し、八十近い異本が残る。翻刻も江戸紀行の中では抜群に多い。
 しかし、実はそのすべてが、流布本として書き直されたもので、最も原型をとどめた写本は私の知る限り、一つしかない。(途中まで、その形式なのは、もう一つあるが、全部が原型なのは、ひとつだけ。)それは東大南葵文庫の横本で、まったく貴重書にもなっていない。
 かなり長いので、私も翻刻しかけては何十年も放置している。紀行研究、歴史研究、その他において非常に重要な資料なので、どなたかがぜひ翻刻して、できれば出版してほしい。それでなくてもさしあたり、東京大学は、ぜひ貴重書に指定していただきたいです。

○紀行作者たちの「紀行文学論」の整理。
 紀行作者たちは、その序文やあちこちで、しばしば紀行についての文体論や内容論を述べている。その中には相反するものもあり、このような例を収集して、当時の紀行作家たちの見解や意識を整理することも欠かせない。それはまた、江戸紀行の評価にあたって、研究者が参考にしなくてはならない観点でもある。

ぎゃあ、明日までやれるのかよ、これ。
 とにもかくにも、太らせますので。

ところで私の足ですが、まだ突っ張っていますけど、近くのマッサージ店で治療してもらいはじめたこともあって、だいぶよくなりつつあります。

子どものころは、しょっちゅう前のめりにこけて、いつもひざと手のひらをすりむいてたのに、足も身体も全然どうってことなかったのになあ。思えば柔軟だったのだなあ。
 それに、スポーツ選手たちの転げたりぶつかったりや、海外ドラマのアクションシーンでのヒーロー・ヒロインの死闘を見てると、よく骨や腱が持つものよと、そっちに感心してしまう。やれやれ。

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カツジ猫