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太平記を読み始めました

前に「情けあるおのこ」が太平記に良く登場するとキャラママさんやじゅうばこさんが話して居られたので、少し読んで見ました。確かに多いですね。ただ此の話が既存の体制を天皇が転覆しようとする話で英雄や正義が初めから少数派ですから、こうなるのは必然と言う所も有りますね。今日明日で読み上げたいと思って居ます。
「平家物語」には此の設定は少ないとの事でしたが、頼朝を見逃す景時も狭義では此の設定に含まれるのでは無いでしょうか。

じゅうばこさん

カツジさんの御指摘有難う御座いました。カツジ猫さんも驚かせてごめんなさい。御土産は貰えましたか?

キャラママさん

私は此の位で書こうと思った事を止める人間では有りませんが、御気遣い感謝致します。(笑)

年末からの施設への寄付の連鎖で私が何とは無しに満足し幸福になったのは、受け取った施設や子供達よりもむしろ、その行為をした方々の喜びや満足を思い遣ってだったような気が致します。
ですから、この話題を読む時に常に気に成って居たのは、寄付を行った方々の御気持でした。其の方々の気持が傷付かない様に其の方々が幸福に成り励まされる様で有って欲しいと願って居ました。けれども私が見る限り報道や発言の全てが其の点に付いては唖然とする程無神経で残酷でさえ有ったと思うのです。

此の事件に関しての報道も発言も私の周囲の反応も概ね、寄付を受け取った側の立場に立脚した物でした。私は此の様な場合受け取った側の気持等どうでも良いと言うのが考え方の基本では無いかと思って居ます。慈善や好意は日本の伝統でも世間の常識でも文句を言わずに喜んで頂くのが礼儀作法と言う物ですし、周囲が其れに口出しするのはもっと非常識の極みでしょう。今回の一連の流れはその大原則が当初から喪失して居ました。

「貰って迷惑」「此れを貰う位ならもっと欲しい物が有る」「現金が最高」「継続して欲しい」と言う気持は物を頂く時には付物です。其れでも言わないのが普通です。日常では何方も一応守るであろう此の常識が何故こうまでも踏みにじられたか、其の事にいっそ興味を抱きます。
人に物を贈るのは所詮は贈る側の喜びで自己満足です。そんな事は自明の理です。贈られる側には迷惑や当惑が多い物です。そんな事を恐れたり嫌がったりして居ては好意の遣り取りは成り立ちません。
今回の寄付に関する報道で、貰った側が贅沢な注文を付け貰った事に文句を付けるのがおかしく無いし非常識でも無いと言う風潮が生まれつつ有る事を改めて知りました。私には吐き気がする程嫌な世の中に思えてなりません。

細かい事はまだ色々と有ります。少しづつ書く事に致します。

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カツジ猫