子持ち様
昨日も今日もラジオやテレビで、子どものいる女性が職場で優遇されすぎるのに対して反感が生まれているという風潮をとりあげていた。私の職場の既婚の子どもがいる女性たちは、子どものいる気配さえみじんも感じさせない、まったく未婚の人と同じ働き方をしていたから、そういう不満や疑問を抱いたことは私はなかった(むしろ、男性から、そういう点ではピント外れな発言を聞かされることが多かった)。それでも、大学院生の時代から、そういうことについての問題はいろいろと見聞きしたし、今聞いても当事者同士の気持ちとは関係なく、すごく根の深い課題だとは思う。
それを言い出したらきりがないから、多分誰も考えもしない、あさっての方向の連想だけ書いておくと、私はトランプみたいなのがのさばるのは、これと共通の問題があるとずっと思っているのだよね。授業用のテキストの「情けあるおのこ」に書きまくったテーマでもあるのだが、つまり、子どものいる女性とか弱者とかを保護して手厚く配慮しようと思うと、結果として、比較的恵まれた層とか、普通の人とかに過度な犠牲をしいることになることが普通にある。
米国の保守層がトランプを熱烈に支持してしまうのは、きっと「恵まれない者を大切にしようとして、恵まれてる(ように見える)者のことを、ちっとも考えていない。どこまでも犠牲を強いる。我慢してたらきりがない」という不満と怒りがあるからだろう。その気分は私には理解できるという確信がある。それは、子どもを持つ同僚の分も残業をさせられる人たちのわりきれないままにくすぶる不満と、多分同じものじゃないだろうか。
私はいろんなところで授業をするとき、決して落ちこぼれを作るまいとすると同じくらい、優等生を無視や軽視をしないように気をつけつづけた。弱者を切り捨てないことは決して強者をおろそかに扱うことではない。教室でも、世の中でも、家庭でも。
今日は雨で庭仕事ができなかった。でも奥庭ではいたるところで、みごとなバラがぽかぽか開きはじめている。化け物みたいな巨大なバラが、あまりにみごとなので、切ってきて飾った。
補欠選挙の結果についての首相の会見のコメントは、ピント外れすぎて身の毛がよだつ。政治資金の問題が「足をひっぱって申し訳ない」って、誰に何をおわびしているんだ。国民の怒りとか何にも感じてないし、謝罪も反省もなく、支持者と自分の陣営の候補者にだけ頭をさげてる。くたばれと、これほど真剣に思ったことはない。
そして、外遊に行ってまた勝手なことをほざいてるんだろうが、能登の珠洲市じゃまだ水が出ないっていうじゃないか。四月まで断水と二月ごろ聞いただけでも、怒りで目がくらむ思いがしたが、その四月さえ過ぎてまだ水がいつ出るかもわからないとか、許せない信じられない。「パーフェクト・デイ」の映画じゃないが、首相も閣僚も外遊なんてするヒマがあったら、能登に行って、汲み取り便所の掃除をしろよ。まったく本気で、そう思う。
私は経済のことは知らんが、円安がこれだけ人を苦しめていて(ゴールデンウィークに海外に行って、食事代が高いから食料持ってって自炊するって、何て悲しい話なんだ)、数日前にいきなり少し回復して、日銀が介入したんじゃないかという話になって、大臣に記者が聞いたら、「お話できません」って、知らんけど、そーゆーこと、隠しておいていいのかよ。と、首をひねっていたら、今日になったら、やっぱり政府が介入したらしいそうで、しかも焼け石に水で何の役にも立たなかったっぽい。何なんだいったい。
いろいろ腹が立つが、まあとにかく、家と庭の片づけにはげもう。今日、スーパーに行ったら、毎年入口の軒に巣をかけるツバメが姿を見せていて、場所を物色しているらしく、屋根のあたりを歩き回ってちいちい鳴いていた。その内に巣ができるのかと、ちょっと楽しみ。