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家族写真。

◇三年ぶりぐらいに「祖母の日記」の翻刻を再開しました(前の10日までの分も若干補充しています。そして、適当に同じ項目に続けて行きますので、新規投稿に反映されないかもしれませんが、時々のぞいて見て下さい)。

この年祖母は71か72で、三年前にはその年でそのすごい仕事量に呆然としたものですが、今は私もほぼ同じ年。そしてやっぱり呆然とします(笑)。

極寒の日も川で洗濯をし、畑仕事も家事もこなし、風呂は薪でたき、飼っていた大型シェパード犬にかみつかれて重傷を負ったまま(ちなみに母は「エサを食べている時に手を出すなんて、かまれてもしかたない」と、とことん冷ややかだったし、誰も同情もいたわりもしませんでした。私もそんなに心配もしなかった。そういうものだと思っていました)体調が最悪なのにも耐えて、村医者をしていた祖父の医院に運びこまれる交通事故のけが人の処置にあたり、村の選挙の作戦会議に毎晩夜更けまで大勢の人が来て宴会するのの対応もし、それに一言も愚痴も文句も言ってない。祖母は風にも耐ええなげな、ほっそり小柄な女性で病身でもあったのですが、それでこれって、もうほんと、「バタリオン」のロシアの婦人部隊の指揮官なみの根性なんじゃないだろうか。

これは祖母がまだ若い時の写真で、亭主関白の暴君だった祖父がなぜか一番はしの背後にいて、祖母と末っ子の次男(板坂元。今でもネットの検索で出てくる数は私よりずっと多い。ちっ。笑)が中心のまん前にいるという不思議な家族写真です。もうここにいる全員が一人もこの世にいないってのも、何かすごいというかサワヤカというか。

なお、左にいるのは私の母、右上にいるのは従姉の父で私の伯父、まん中奥にいるのは叔母です。母はバンカラだったらしく、このぶっといお下げに鞄を結びつけてぶら下げて、両手を空けて本を読みながら通学していたとよく私に言っていました。すげえ。

◇祖母の日記にこうやって村の選挙のことが再々出てくると、こんな風に地域の政治や民主主義は曲がりなりにも息づいていたのだなとわかります。わいろや縁故づけのいかがわしい選挙だったけど、それに代わる政治への関心と参加は、特に地方ではもう死にかけているのではないかと、あらためて危機感をかきたてられる。

幼い私は母を通じて、この選挙情報をいつも聞いていたのですが、この最高幹部?のおじさんの一人は結核を患っておられて、のちに別の幹部のひとりが「あの肺病たれが」とどこかで言ったという話を聞いて、それはデマだったのかもしれないのですが、「絶対に許せない」と祖父の仲介も甲斐がなく結局離れて行った流れを、子ども心に覚えています。デマだったかどうかはともかくとして、人を傷つける不用意なことばが、絶対に修復不可能なものになり、大きな情勢も変えかねないということを、私が学んだ、とても初期の教訓でもありました。

おや、外は日が照りはじめました。今日も仕事にはげみます。

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カツジ猫