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年末のノルマ。

◇ずうっと昔の大昔、まだ今のロシアがソ連でバリバリやってたころ、「ヨーロッパの解放」という、ものすごい超大作映画ができて、モノクロ(もちろんリアルさを追求するために、わざとだ)だったと思うけど、私も友人も見に行った。

赤十字がけっこう悪者に描かれたりしてて、そうゆーこともあるんだろうなとか、いろいろと参考になったが、中で、果敢な攻撃をして、ええとモスクワを解放するんだっけちがうんだっけ、とにかく過大な犠牲を生むであろう大作戦を、「スターリンの誕生日までに」と司令部や司令官が檄を飛ばして兵士を鼓舞する場面があり、多分兵士もそれで鼓舞されてたような気がするので、私はあまり見てて気にもしなかったのだが、後で批評を見たらどなたかが、「指導者の誕生日に合わせて犠牲をかえりみず作戦を行う非情さ」みたいなことを書いてた。

その時は、だって戦争だってなんかのメリハリはいろうもん、と、すっかり戦争に参加した気分で見ていた私は思ったぐらいで、気にはとめなかったのだが、ただずっと記憶には残っていた。
で、この話の行きつく先を予想してる人もいるだろうが、野田首相の消費税にしろ、沖縄の15箱の書類送りつけの件にしろ、「年末まで」のけじめって、こういう人たちも気にするんだなあ、目標達成、ノルマ達成の、ある意味とっても公務員体質(別に悪口じゃないからね)なんだなあと、微妙に奇妙にのけぞった。

そんでまた、キャラママさんが、卒論指導やらなんやらにあたって学生によく言ってるという、「ちゃんとした内容でなくて、もうだめだと思うほど、表紙や綴じヒモや、そういうしょーもないことが気になりはじめるもんで、ぐちゃぐちゃな恋の別れ話ほど、あの喫茶店で、こういうスタイルでなくちゃ、と変にこだわってしまうのとおんなじだ」と言ってたのも思い出す。

ついでのついでの形式論つながりで言うと、あの評価書を宅急便で市役所に送りつけようとし、だめそうなら夜明けに守衛室に届けるとか、もう「アメリカン・ギャングスター」の映画でラッセル・クロウ演じる刑事が、細めに開けたドアから逮捕状放りこむと同時に容疑者宅に突入する(こっちはわかるし、カッコいいけど)なみの、あこぎさというかアホらしさで、もちろん当事者は必死なんだろうが、必死の方向が決定的にまちがってるやん、という脱力感にとらわれる。

というのは、私でなくても多くの人が思うだろうが、今に始まったことでなくても、こうした形式先行のこっけいさと哀しさは、あっちこっちで発生横行していて、キャラママさんも書いてたが自衛隊から皇室から原発から君が代まで、皆、そうだ。

橋下知事(当時)が、国歌や国旗問題の解決の理由にしたのも結局は、いろんなことを話し出すとごちゃごちゃするから、これはもう、業務命令に従うかどうかということで、ということだった。戦略的にはそれしかなかっただろうが、それをこれまで誰もしなかったのは、ここまで煮つまるまでに無視されつづけた、根本的な問題の数々をやはり意識していたからだ。何だかややこしく不愉快なことが毎年起こる、という印象だけが積み重なる中で、そのことを次第に誰もが忘れたころ、彼がこういうやり方で片をつけたのは、すっきりするし、ほっとしたという印象を持つ人もいるだろう。だが、それは結局は受け取り拒否される書類だから郵送しようという姿勢や発想と、基本的には同じものだ。そのことだけは、しっかり確認しておいた方がいい。

◇ちぇっ、「アラビアのロレンス」論を書こうと思っていたのに、さすがに年末ともなると、私も時間がなくなってきた。もしかしたら、今年はこれでおしまいかなー。皆さま、どうぞよいお年をっ!

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カツジ猫