年甲斐もなく
夏目漱石の「こころ」や「それから」を読んで古色蒼然としているはずの、人妻との恋だの友情だのの成り行きに、わくわくどきどきはらはらしてます。そして、どれも似たテーマなのに、どれもそれぞれ微妙にスタイルがちがって、それも面白い。「それから」は、妙に時勢の俗なニュースなども入り交じるし、庭の花や町の花についての記述が細やかで華やかで美しくて、クライマックスのユリの花が浮いてない。
「それから」については、主人公のこれこそ自己責任とは言いながら、親の金をもらって職にもつかず、高等遊民してる生活が、ある意味「源氏物語」の女君たちと同様、経済的自立がまったくできてない、見込みもない男性(しかも優雅で優秀でエリート)のかけがえのない恋をしたときの、にっちもさっちも行かなさが、なるほど男性でもこの状況はあるかと痛感した。ついでに言うなら、現代日本の若者が経済的に苦しくて恋も結婚も命がけになるのと重なりもした。
しかしながら、これらの作品を読んでいて気がつくのは、どの家にも、かなり経済的に逼迫していてさえ、絶対にお手伝いさんの男女がいること!
私はかねがね、日本の現状を打開するには、ちゃんとした家政婦(夫)業を産業として推進することが、各方面の多くの問題を一気に解決するだろうという持論を持っているのだけど、そのことをあらためて思い出した。マイナカードや武器輸出より、よっぽど可能性のある方向だと思うのだが、どうだろう。
お彼岸なのに、田舎の墓地はもちろん、近くに作った個人墓(何となく田舎の墓の通信基地のように私は思っていて、ここで亡き家族にも語りかけたりする)にさえ行ってない。少し遅れても雨でも、顔を出そうかと思いつつ、せめて上の家の仏間に、庭の水仙とフリージアを切って供えた。この水仙は庭のはしで、なぜか皆私に背を向けて隣の空き地を向いて咲くから、顔?がよく見えなかったのだが、今朝つんでみたら、バラのように美しく豪華で腰が抜けた。雨で頭が重くなって折れた一本は下の家の小さいびんにさした。
こちらは仏間の方だが、なかなかきれいな写真が撮れなかったのが、ちょっと残念。