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彼女は何を書いたろう?

(文芸誌「白南風」に載せていただいたものです。いずれどこかに移しますが、さしあたり、こちらにあげておきます。
去年書いたものなのですが、今、読むのにも、ちょっといいかもしれません。私がもしも今、皆さんに何か言えるとしたら、案外こんなことぐらいかもしれないです。)

 

彼女は何を書いたろう?  板坂耀子

1 オタクの勧め

私の国文学の恩師だった中野三敏先生は、文化勲章も受けた立派な研究者だが、この非常識な私でさえ、予想もつかないぶっとんだ発言をすることがあった。教養部から国文学の研究室に入って来た二年生に向けたパンフレットのあいさつで、「研究者たる者は、宮崎勤になれ」と、当時有名な幼児殺害の犯罪者の名をあげてオタクになるよう勧めたのも、その一つだ。いくら手作りの薄っぺらい冊子と言っても、昔だったから見逃されたが今なら絶対問題になったろう。

中野先生がその呼びかけでおっしゃりたかったのは、研究者になりたければ、とにかく興味のあるものについて、関連するものを徹底的に集めまくりなさいという、とてもまっとうなことだった。

当時は、宮崎勤がビデオや漫画を収集していたのを彼の犯罪と結びつけて、病的で危険なことのように報道するメディアが多かった。もともと、中野先生も含めた私の周囲の研究者たちは、「ビデオが何十本って、別に多くも何ともないですよね」と、不思議そうにしていた気がする。しかし、世間の感覚はそうでもなかったようだ。

私は気がつかなかったが、日本でオタクという存在が非難され、蔑視されるようになったのは、あの事件がきっかけだと、オタクに関する本にはどれも書いてある。

専門分野に関係なく、研究者は皆オタクのようなものだ。中野先生があんな文章を書いたのも、のん気でいたずら好きなお人柄というだけでなく、宮崎勤批判からオタク攻撃、ひいては研究者や専門性を軽視することにつながる未来を予測し、先制攻撃をかけたのかしら、それはちょっと買いかぶりかしら、と私は今になって首をかしげている。

どこかで読んだのは、何かをただもうひたすらに集めるマニアは男性に多く、女性は健全でバランスのとれた性格だから、そんな無意味な収集はしないということだった。中野先生もそれに近いことをおっしゃっていたような気もする。

こんなのは男性女性両方に対して失礼なことだし、男女差があるとしても、経済的時間的余裕とか、原因はいろいろだろう。だが、そういう男女の本質みたいな話にはいつもピリピリしていた私が、この見解にそれほど目くじら立てなかったのは、自分自身が子どものころから、好きなものにははまりやすく、ついつい関わりのあるすべてを集めてしまうのが普通だったからだ。ついでに言うと私の母もそうだった。実例がたったの二つとは言え、それが自分と母という身近さもあって、そんな男女の本質論を私は気にもとめなかった。

2 「アンネの日記」にはまる

自分の専門分野とは何の関係もなくても、そうやって、つい集めてしまう小さなコレクションは、最近では広島で被爆し全滅した演劇集団「さくら隊」関係のものである。少し前ならシャーロック・ホームズ関係、赤毛のアン関係、ロビンソン・クルーソー関係、「西部戦線異状なし」のレマルク関係とか、取り合わせはまったくばらばらだ。

その中のひとつが、「アンネの日記」のアンネ・フランクに関するもので、日記そのものから彼女について書かれたもの、彼女の書いた童話、映画やアニメのビデオなど、なるべくセーブしているつもりなのに、気がつくと十数点になっている。

子どものころに読んだときは、戦争の悲惨さや残酷さが露骨に出て来ないのがものたりず、これがどうして、そんなに評価されているのか不思議に思っていた。もちろん今読むとまったくちがって、閉鎖された空間の中で数家族が息をひそめて生きる状況の苦しさ、その中でのびやかに成長して行く少女の心が、まぶしくて愛しい。そして彼女のまがいない、作家としての才能も伝わって来る。

黒柳徹子さんも声優で出演している日本のアニメは、映像もきれいで良心的な作品だ。しかし私がとてもものたりないのは、長い隠れ家生活で最初はぎくしゃくし反発しあっていた数家族の皆が、最後には認め合い許しあい、とてもいい関係になったところで、ゲシュタポに踏み込まれて逮捕され収容所に連れていかれる、という話になっていることだ。

「日記」を見ても、実際にはそうではない。長い共同生活の中で、彼らは疲れて憎しみもいらだちも、増えこそすれ、減ってなどいない。アンネ自身、同居人にも家族にも敵意や反感を抱いたままだ。その中でなお、彼女は愛し、連合軍の勝利と自分たちの解放への希望をつなぎ、人類と未来への強く明るい信頼を失わない。だからこそ、その愛や希望や信頼は輝かしいし頼もしいのだ。

「アンネの日記」にとって、とても幸福だったのは、アメリカで初めて劇として上演された舞台の脚本も、それをほぼそのまま踏襲した映画も、この精神をそのまましっかり生かしたことだった。隠れ家の中の人たちは、最後まで決して仲良くもないし対立と不和はむしろ深まっている。それでも彼らは愛し、希望し、生きている。それを断ち切ったラストだからこそ残酷なのだ。

皆がいい人になって仲良くなって、理想的な世界ができて、それが断ち切られたから残酷という日本のアニメの作り方は、わかりやすいが、安っぽく薄っぺらで浅い。「アンネの日記」が私たちに伝える、不幸でも不快でも、なお生きていることは素晴らしいし尊いという、歯をくいしばり、肝の座った決意が、そこにはみじんもない。

3 収容所での日々は?

アンネたちは逮捕された後、収容所に送られてばらばらになり、アンネの父オットーを除いては誰も終戦まで生き残れず、あちこちの収容所で死んだ。最後までいっしょにいた姉のマルゴットとアンネが死んだのは連合軍が収容所を解放する、ほんの少し前である。

そこに至るまでの彼女の過ごした日々は、他の人々の収容所での体験記、実際に彼女に会った友人や知人の短い証言を重ね合わせて知るしかない。当然ながら、何かを書いて残す機会は彼女にはまったく与えられないままだった。

持ち物を奪われ、髪を剃られ、タトゥーを入れられ、裸で歩かされ、理不尽な大勢の死を見せられ、飢えに苦しむ日々を、他の本で読んで知るとき、私がいちいち戦慄するのは、「アンネもこれを体験したのだ」ということだ。だが、それと同じぐらい強くこみ上げてくる思いは、「彼女はこれをどう感じたか知りたい」「彼女がこれをどう書くか読みたい」ということだ。

そして私にはわかる。彼女はきっと、こんな私の気持ちを知っていた。私のような多くの読者に、自分の体験と見聞を、自分のペンで書いて伝えたいと願っていた。そのことがわかる。時を隔てて私と彼女は向き合って、二人の心は通い合う。おたがいに相手を知っている。「読みたい」と私は願い、「書きたい」と彼女は願う。

でも、その願いはかなわない。絶対に。永遠に。

私が何よりも戦慄することは、彼女が味わったどんな悲惨にも増して、彼女がそれを書き残せなかった悲惨だ。

どんなに苦しかっただろう。朝から晩まで書きたいことを限りなく見続けていたはずなのに。

それは必ずしも苦しみや悲しみだけではなかったはずだ。

数少ない証言の中で私の目を射るのは、アンネが隠れ家を出て収容所に送られるとき、とても楽しそうだったということだ。ずっと見ていなかった、野山の緑やいろんな風景を車窓から夢中でながめていたという。

映画「大脱走」は、しっかりと戦争の悲劇やナチスの悪を描いてはいるものの、戦争映画というよりは活劇風の脳天気な明るさが魅力的でもある、陽気なハリウッド映画で、私も好きだ。

あの映画は前半と後半で、がらりと画面の雰囲気が変わる。前半の閉ざされた空間の収容所内での攻防も楽しいが、後半はいきなり脱走したメンバーがヨーロッパ全土を走り回る開かれた世界の冒険が展開する。

アンネの生活も、そのように、収容所内とは言え、隠れ家にいた時よりは、はるかに「自由」で開放された世界へと移行した。前半のある意味では作家としては題材不足で単調な隠れ家生活を、あれだけ生き生きと描く筆力と観察眼を持った彼女にとって、それはどれだけ創作意欲を刺激する毎日だったか。そして、それを何一つ書けない苦しさは、いかばかり激しかったか。

目で見る外界だけではない。彼女の心はどう変化したのか。失われた隠れ家での共同生活を、その息苦しさや不快な人間関係も含めて、彼女はなつかしく思ったか、それともそうでもなかったのか。人類への希望を彼女は持ち続けられたのか。私は知りたい。まったく予想がつかないだけに。軽々しく型にはまった予想など、決してしてはいけないと思うだけに。

アンネの場合ほどではなくても、いろんな事情で自分の回りに起こったことを書けないままになる人は多い。むしろ、そういう人が大半かもしれない。

でもきっと、未来の誰かが思っている。あなたや私を直接間接に知っている人でも、あるいは漠然と大勢の中の一人としてしか知らない人でも、その誰かはきっと思っている。

その時、あなたは何をしていたのか。何を思っていたのか。

新聞のニュース、歴史の教科書、親戚の噂話などで、いろんな事件や時代や世界のことを知るたびに、きっと思う人がいる。その場にいたあなたが書いたら、そのことをあなたはどう書くのだろうと。

あなたの声で、あなたのことばで、そのことについて聞きたいと。

(2019.10.29.)

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カツジ猫