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彼岸になるとバカがわく。

◇いやーもう、このタイトルからして、あいかわらず私すさんどるわ(笑)。
実家に帰って来ました。このことは前にも書いたんですが、墓参りに行ったら、枯れた花を皆がそれとなく捨ててる藪蔭に、どこかのバカがまた花を包んでいた新聞紙と、水のたまったビニール袋を捨てていました。

墓地は山の上の森の中にあって、周囲は藪です。そりゃ本当は枯れた花だって捨ててはいけないのですが、どうせすぐ土に返るような場所なので、私も他の人も、そこにおいて行く人が多く、まあそれで特に不都合はなくすんでるようなんですが、正月や盆や彼岸や、要するにめったに来ない人が大勢墓参りに来る時期になると、それでも大抵一人か二人ですが、そこにはゴミを捨てていいとまちがえて、土に返らない、紙やビニールを捨てていくアホが出てきます。

私がそれを見て何をそう怒るのか、自分でも不思議なくらい激怒するのは、どういうか、「ちょっとぐらいの悪いことや雑なことは、我慢できる限界内で何となく皆が認め合って許し合って、それできわどく無事にすんでる状況があるのをまったく理解しないで、あーあー何でもしていいんだ許されるんだーって限界こえてやっちゃうバカのせいで、その暗黙のルールで保たれていた状況が崩され、世の中一気に不便になる」ってことですかねー。ヘイトスピーチなんてその最たるもんでしょうが、批判されたら本人たちが言論の自由を持ち出すのにいたっては、自分たちがゴミ捨て場に寝っころがってるようなもんで、その自分らの悪臭にも気づかないアホさって、ほんとおぞましい限りだわ。

それと、想像力の欠如も許せないんだよね。枯れた花や草なら土に返る。しかし紙やビニールを捨てたら、早晩そこはゴミの山になる。いずれゴミ捨て禁止の立札が立ち、ゴミの山も立札も、ものすごーくみっともないもんだからして山の中の墓地の雰囲気も一気に台無しになるんでしょうが、どーせ彼岸と正月ぐらいにしか来ないやつらにはそんなことどうでもいいんだろ。いや本来は年に一回しか来ないんだから、せめてちょっとは墓地の美化に貢献して帰れと言いたいけどね。

んで、こんなやつに怒ったら、どーせがもう、「だってー、皆が花とか捨ててたしー、いっかなと思ってー」とか言うんだよな。そこまで想像するともう私は、そんなやつ、たたっ殺して、ちょうど墓地だしそのへんの墓に埋めたろかいと思ってしまうんですが、まあそれはいくら何でも不謹慎というもんでしょうね。

本当は私、こういうゴミを見ると、自分のゴミ袋に入れて持って帰ってたんですよ。紙とかビニールとか、いつも。でも昨日はもう時間がなかったのと、その他いろいろで、できなかった。せめて奥の見えない方につっこんで帰りましたけど、どうなるでしょうね。今度行ったときまだあったら、持って帰ります。
多分彼岸にしか来ないどっかのバカへ。どうせ他の日常でも似たようなことしてるんでしょうが、あんたのしたことの始末はこうやって関係ない誰かが、あんたを呪いながらやってるんですよ。墓参りをすましたからっていい気になんかなっててほしくないもんだわ。

◇他にも福岡市の高島市長が首相に電話で頼みこんで、福岡市をあのアホな何とか特区にしてもらったとかいうニュースをちらと見たけど、何重もの意味でアホとちゃうか。先日のビルの廊下の人種差別の貼り紙と言い、福岡って買物や食事するのに好きな街だったけど、もう足を向ける気もしなくなって来た。遊ぶ場所、北九州に鞍替えするかな。そりゃ北九州だってさがせばどっかのビルにはくだらん貼り紙もあるかもしれないけど、それが見つかるまでは、せめて(笑)。

◇まあしかし、私も少しは落ち着いて、優しい心にならんといかん。
最近、何人かの人にとてもよくして頂いていて、いいのかしらと不安になる一方で、まあ誰でもそんなものかもしれませんが、この十年近く、母を筆頭として(笑)誰からも本当に私は、いたわられたり何かしてもらったりしたことが少なかったなあと、あらためて思います。
ただそれは、祖母の日記を読んでも祖母だってもっとそうだし、別にそれだけだったら私はそんなに苦にはならないと思うんだよね。

問題は、この十年間だけでも何回か、何かしてあげたら、それを手がかりにしがみつかれて、ものすごく色んなことを当然のように要求されて、そこに私へのあこがれと関心が奇妙なかたちでからんで来るというのがあって、もうすごく気味が悪かった。まるで私と人生をともにしているかのような錯覚をしてる、したがってる気配というのがありありとわかって本当に困った。

これは私が大学の先生だったとか、独身女性とか、そういうことには関係がない。少しはあるかもしれないけど多分誰でも、主婦の人でも会社員でも二―トでも失業してても病気でも、こういう風に人から「この人は私の物」みたいに思いこまれて、超カン違いな接近をされてしまうタイプの人っているんだと思う。
そして、そういうカン違いの接近をされるたびに、私は親しい友人たちから「あんたが悪い」「優しすぎるからなめられる」「誤解されてもしかたがない」と言われて落ちこみ、自分でもたしかにそうだと反省し、だんだんもう人に優しくしたり、いい顔見せたらひどい目にあうという記憶が身体にしみついて、どんどん優しくなくなって荒っぽくがさつに激しく強くなってしまってきていたと、あらためて思う。

よくしてくれる人の一人は「昔の恩返しよ」と笑ってくれるのだけど、そのことを私は覚えていなかった。私が何をしたにせよ、それをそんなに価値あるものにしたのは、私じゃなくて、きっと、その人自身の力だ。だから今、私がしてもらっていることは、ただありがたい親切で、甘えないように、無駄にしないように、充分に気をつけて大切にしなければいけないと思う。

何より、こりないで、自分の中の柔らかさや優しさを取り戻そう。その価値がわからないバカには与えないようにして…って、それが一番難しいのかもしれないけどね(笑)。

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カツジ猫