忘れもしないが
ドラ・ド・ヨングの「あらしの前」を久しぶりに読んで、「あらしのあと」もまた読みたくなったけど、あれはほんとに切ないんだよなあ、いろいろと。それで、その前に、同じ家族の話で、ときどきちょっとごっちゃになりそうなザッパーの「愛の一家」を書庫から持って来た。
本当に何の予感か何かわからないが、私は半年ほど前にどうしてか田舎の書庫にあった、生まれて一番最初に読んだような童話の本のいろいろを、全部こちらの家に移動させて持って来ていた。もし、あのまま置いていて、例の事件で捨てられてしまっていたら、きっともう私は立ち直れなかったろう。廃人になるかひょっとしたら家に火をつけて自殺でもしてたんじゃないかと思うぐらいだ。そうならなかったとしても、とにかく確実に私の中の何かは殺されていた。
それが、今またこうして読める幸せをかみしめている。こういうことも含めて、私は今の世の中の状況にあまり不満がないどころか、いろんな面でかなり快適で、それを口に出して人に言うわけに行かないところが、実は一番ストレスだ。もちろん収入は減ってるし、政府はあんなだし、たくさんの人が苦しんで困ってるのはわかってるし、そういうのは全部不安で恐いのだが、しかし、人と会わなくてすんで、世の中が静かなのは、すごくほっとする。
昔はもっとすることがなくてイベントもなくて娯楽もなくて、その分、いろんなことを考えられたし、気持ちの整理もできた。世の中の回転が早くなって、どんどん新しいものを取り入れて古いものを捨てて、上から上からものをつめこんで、気晴らしや気分転換をしてはまた走り続けるみたいな生活を自分でするのも、人がしてるのを見るのも、私はもういやになっていた。
本の数も少なくて、映画の数も少なくて、それをじっくり味わっては何年も楽しんだ。スポーツだってこんなにしょっちゅう、のべつまくなし、一年中やってはいなかった。夜中まで開いてるコンビニはなかったし、翌日届く宅急便はなかったし、新幹線もなかった。そういうテンポになって、しくみが出来てしまっているからしかたがないが、今みたいな高速運転みたいなことをしていたら、誰もがゆっくりものを考えられない。
忘れもしないが、私が学生運動をやめたのは四年生の夏休みで、その時にどうしたかと言うと、田舎の家でただもうゆっくり、根本的に自分の哲学を整理し直した。それまでは、とにかく目の前の会議や仕事に追われて、立ち止まって考えることができなかった。眠るひまさえ、ろくになかった。ずっと考えて、考えて、それで決意できて、新しい生き方を選べた。すごく勇気が要ったけど。
今、あの時とちょっと似た気分だ。何かを整理し、仕分けて切り捨てるなら今だ。生まれ変われる最後のチャンスかもしれない。
これがどんなに、私にとって、真剣で切実で危険に満ちた試みか、わからないような人間なんか、一生そばに近づいてもほしくない。そのくらい、重要なことを私は今しようとしている。それを冗談にしたいやつなんか、本当にただもう不愉快で汚らわしい存在でしかない。
それでも何だか忙しくて、昨日も今日も例のカミュの本を読めなかった。最後に読んだのは、カミュが戦後に、ナチスの協力者を死刑にするかどうかについて論争してる時期の話で、相手はこれまた、あのモーリヤックでしたよ。まったくもう、熱いなあ、フランスの知識人たちは。
ここまでカミュが、悪人は殺してもいいのかどうか、行ったり来たりして考えているのを見ると、私もつい、自分は人を殺せるのかと考えてしまう。いざとなったらいつでも殺すと一応世間に宣言している私だが、絶対に殺さないと宣言している人と同じぐらい、最終的にはわからない。そして今はもう皆故人の私の家族だが、祖父はもちろん母でさえ、結局は殺さないような気がする。私の家族の中で、それが出来るのって、一番きゃしゃで弱々しい祖母だけじゃないかと、わりとマジで思う。
さらにまた、これは昨日の憲法記念日に書こうかと思って、ひんしゅく買いそうでやめたのだけど、言うまでもなく日本は平和憲法によって戦争を放棄し、人を殺さないことを国ごと誓っている。つまり自分の知らない人を、個人的恨みや危機回避じゃなく、国家のお仕事として殺すことはしないでいいことになっている。
これはすごいことだ。コスタリカとかは別として、世界中でそんな保障をしてもらっている国はない。
コロナで死ぬ人も含めて、私の同年代はそろそろ死ぬ人が多くなった。私だってそろそろわからない。でも、それで私が思うのは、結局、国のために人を殺さなくてもよく、殺されずにもすんで、そういう時代に生まれて、死んだ人間がだんだん増えて行くのだなあということだ。
以前私は、平成が終わったときに、平和憲法のもと、戦争をしないで殺しも殺されもしないですごした、平成という年号の期間を、私たちは守ったという気がした。令和もそうなるといいが、どうだろう。
それと同じに、平和憲法のもとに生まれて、殺しも殺されもしないでいいという保障で守られたまま、一生を過ごして逃げ延びた人がもう出始めているのだと思うと、変な達成感と勝利感がある。ささやかすぎるけど。はかなすぎるけど。でもやっぱり、達成なのよ。勝利なのよ。
母は数年前に九十八歳で死んだ。もちろん戦争を体験している。私はコロナ騒動の中で、母がもう死んでいたのを、ちょっとよかったと思っていた。でも考えたらコロナのせいだけじゃない。戦後ずっと平和を守って私以上に戦った母を、その平和が守られている間にこの世から送り出せて、逃がすことができてよかったという感覚もどこかにはある。沈む船や燃える家から、逃せた人を見送るように。
私、逃げ延びられるかな。
まあ、どっちでもいいが。