1. TOP
  2. 岬のたき火
  3. 日記
  4. 怒りの長崎。

怒りの長崎。

◇昔何かで読んだのですけど、「怒りの広島、祈りの長崎」ということばがあって、同じ被爆地でも強く抗議する広島に比べると長崎はおとなしいという印象があったとかなかったとか。

広島のことは大田洋子さんの「屍の街」の美しい描写ぐらいでしか、あまりよく知りませんけど、長崎は祖父母や母の出身地で長く暮らした場所でもあり、親戚や知人に被爆者もいるし、何より近くですから、よく知っています。
いろんな災害のニュースなどで登場するときもそうですが、長崎の人たちは本当に皆どこか上品で穏やかで、おとなしい。祖父がバイタリティとパワーあふれる大分の田舎に引っ越したあと、母や祖母が、何という野蛮な土地だろうとカルチャーショックを受けたという話を私は何度も聞かされました。

「だってねー、あなた、小学校の運動会で、『ご父兄の方も参加して下さい』って競技、何度アナウンスしても長崎の奥さまたちは遠慮して恥ずかしがって、絶対に出ていかなかったのよ。それをここじゃ、鉛筆かなんかの参加賞がもらえるっていうんで、お母さんたちがわれがちに飛び出して行って、着物のすそをはだけて、腰巻ひらひらさせながら全力疾走するんだから、そりゃ私たちたまげて腰を抜かしたわよ」
「長崎じゃ女中さんは皆、障子やふすまは座って開けて、『奥さま?』と言っていたのに、ここでやとった女中さんは、仁王立ちでがらっとふすまを開けて、『奥さん、こりゃどげすんのんかえー?』って大声で聞くんだから、もうびっくりしてこっちは声も出なかった」でんでん、じゃなかったうんぬん。

そんな母も何十年か暮らす内にすっかりエネルギッシュな大分魂になじみ、一度私が福岡の「吉宗」という長崎の有名な料理店の出店に連れて行ったとき、そこのお店の人と長崎の思い出話をするのに、長崎弁のつもりで大分弁を使うぐらい同化していました。それでもどうかして、長崎時代の旧友と会って話したりすると、「細やかで優しい、あの雰囲気をすっかり忘れてしまっていた。私もがさつで野蛮になったもんよ」と、しみじみ述懐したりしました。

母が何度か訪れて大好きになった沖縄といい、長崎といい、「原爆や戦争は、あんな優しい暖かい人のいる場所を襲うのね。まちがっても大分みたいなタフな場所には来ないんだから」と私と母は物騒なことを言いあっていたものです。実際、私も育った大分の家のあたりは空襲どころか物資不足さえもあまりなく、米や酒もそれなりにあったとか言っていましたから、宇佐八幡のご加護じゃないけど、強運の土地なのかもしれませんし、母もそのおかげをこうむったのかもしれません。

私自身は何度か学会や資料調査で訪れるたび、町や人のどこか淋しげなほど、優しく暖かいたたずまいもさることながら、どの裏通りを歩いても、猫たちが全然人を警戒せず、塀の上から見下ろしていて手をのばせば触らせる無防備さに、どれだけ穏やかで幸せな町なのか、ひしひしと実感していました。

◇そんな長崎の被爆者代表が、「総理、あなたはどこの国の総理ですか」とアベに迫ったというニュースを見て、目がくらみ息がつまる思いがしました。
あの人たちが、あんな町の人たちが。
常に怒ってパワフルで、ダイナミックな人たちが抗議し怒りの声をあげるのは、それはそれですごく大切で立派で必要なことです。
でも、長崎を知らない人にどうか、わかってほしい。あのことばの持つ意味と、重さを。
猫たちが人から逃げもしない静かで穏やかでつつましい町の人たちが、そんなこと絶対に言いそうにない人たちが、言ったことばだということを。

長崎市長の平和宣言には「賛同」を押すボタンがついています。
よろしかったら、押して下さい。
万感の思いをこめて、今年初盆の母の思いもこめて、私もさっき押しました。

https://twitter.com/onoyasumaro/status/895123225906040834

Twitter Facebook
カツジ猫