怠ける口実
モニタリングというテレビ番組があって、その中の企画のひとつに、著名な歌手やアスリートが変装して一般人の中に紛れ込み、最初はオタオタもぞもぞしながら、やがて突然実力を見せて度肝を抜く、という一種のドッキリテレビがある。
アスリートたちの実力もすごいが、いきなり本領を発揮して熟練の声を披露したとたん、周囲をしびれさせ一気に場を支配する名歌手たちの力は、たしかに見ていて溜飲が下がる。
彼らは多分大いに楽しんでやっているのだろうが、最初はしがない、さえない老人や中年の男女に身をやつしている。そして店内や街頭の周囲の人々に苦笑されつついたわられたり見逃されたりしている。だが、本来の声をほとばしらせたとたん、電流が流れたように人々はかたずを飲む。
まあいつもこううまく行くのかはわからないし、編集もしているのだろうが、それでもその歌唱力の魔力は圧倒的だ。
ときどき適当に見流して面白がっていて、ふと連想することがある。
ジャニー喜多川の性被害問題は現在どうなっているか細かいことは知らない。加害者への怒りも被害者への共感も私の中ではまったく色あせていない。
事件があらわになってファンの中にも激震が走り、どうするかを模索したり宣言したりする書き込みの中で、印象に残っているものがある。それを書いた若い女性は、現在の「推し」が事務所を離れて独立したら応援し続けられるかどうか自信がないと告白していた。それは、かつて熱中していたタレントが事務所を離れて活動し始めたとき、ステージやバックの華麗な演出が以前ほどではなくなった時に、次第に魅力が失せてしまってやがてファンをやめてしまったという体験があるからで、またそうならないという自信はないと苦しんでいた。
あのころ山のようにあった、好きなタレントの去就その他についての生々しい悩みの告白の中で、その正直さと切実さは他と段違いに強く私の胸に残った。そんなものかとも、そうかもしれないとも、そうだったのかとも思った。大手の事務所や企業のバックアップが個々人のタレントにとってどんなに命運を左右するものかも実感として伝わって来た。
そんな中で事務所とたもとをわかつのは、それなりの経歴や実力や自信のある人たちだけなのだろう。衣装や舞台効果やメディアへの売り込みは、それほどに彼らの魅力を左右し、その一部ともなっているのだろう。
だが、それも演出にせよ、つくられた幸福にせよ、目に見える幻想として、モニタリングの映像は存在する。見るかげもない、うらぶれた平凡な外見や衣装の男女が、その天性の声だけで一瞬に人々を金縛りにして引き寄せて魅了して支配する。それは、たしかに何かを思い出させ、何かを伝える。「嚢中の錐」だのという古典的なことばの存在をふと思い出させる。
話は変わって、それとはあまりに裏腹すぎる政府の動静。私がことのはじめから危惧しつづけていたように、自分たちの無能さとやる気のなさと怠惰さを、現在の法制や憲法のせいにして改憲や緊急事態条項の成立をめざすのではないかという憂慮を抱く人が増え始めた。
もしかしてだけど、ほんともしかしてだけど、
緊急事態条項やらないと駄目ねってのは思わせるために、今回の災害支援が及び腰なの？
まさか、そこまで自民党が悪辣とは思いたくないけど。— Hiromi1961 (@Hiromi19611) January 4, 2024
「緊急事態条項創設のための改憲」に持ち込むため「意図的に」被災者／被災地の支援／救援を遅らせる。自由民主党政権ならばこれくらいやってもおかしくないと思いますよ🙄
コロナ禍に際して下村博文は「今回のコロナを、ピンチを（改憲の）チャンスとして捉えるべきだ」とほざいていましたから🙄
— 法學院狂魔 (@Adepteater029) January 3, 2024
「いま言うか！」と思ったが、よく考えてみれば、おそらく岸田は「いまだから」こそ言ったのだろう。というのも、プロの泥棒は、火事や混乱を見つけると俄然やる気を起こすもの。盗みの成果が最も効率的に得られるからだ。「やるなら今しかねえ」「今が大チャンス」。そんな心境になったのだろう。 https://t.co/tmv1HN3zsd
— さよなら昨日の私 (@SaYoNaRaKiNo) January 4, 2024
私は首相や現政権が、改憲や緊急事態条項設立のために災害対策を怠けたり遅らせたりしているとは思っていない。
そんな悪だくらみをする才覚さえも、彼らにあるとは思えない。それほど無能な集団だ。
ただ、私が確信し、恐れているのは、岸田首相の徹底的で決定的な「感情の薄さ」だ。人々への国土への、愛情の少なさだ。
たとえ敵にでも抱かないではいられない「やもたてもたまらない同情」を、この人は決して持てない。がれきの下で生き埋めになっている人や、水も電気もないままに家族を失い夜を過ごす人や、苦しみあえぐ動物や自然の痛みや苦しみを、この人は決して体感できない。
その無神経さと鉄面皮さは当然側近にも伝播する。手術をする医者のように過度な感情移入を持たない冷静さではない、ただの鈍感さと冷酷さは、迅速で正しい政策や判断を生む、どんなエネルギーにもつながらない。「自分のことは二の次だ、とにかく何とかしてやらねば」「苦しんでいる人たちのことを思うと、いても立ってもいられない」という熱いパワーを生む原動力が作れない。これこそが、これだけが、こんな時には頼りだというのに。
だから彼らは、この事態の中でとるべき道がわからないし、無能になるしかない。アメリカや財界の意図や基準に従おうにも、細かいところや大所高所の判断には参考にならない。
したがって、やるべきことは停滞し、進むべき方向はまちがえ続ける。
そうなったとき（もうなってる）の言い訳と逃げ口上と保身とは、自分たち以外の何かに原因を求めるしかない。
この点で、彼らは必死になるだろう。
できないこと、わからないことに、不器用なりに取り組むのではなく、恥をさらさず責められないために、できないわけ、わからないわけを、必死で探そうとするだろう。
それは今の法律のせい、憲法のせいと彼らは思い込むだろう。もうそれしか、自分たちに言い聞かせる救いはないから。力と金のすべてを使って、その逃げ道に突進して行くだろう。
もちろん、そんなことは彼らだけの逃げ道であって、他の誰の救いにもならない。犠牲はますます増え続け、日本と世界の行く手はどんどん闇に向かうだろう。
そうさせてはならない。あらゆる人が知恵をしぼって、そうさせないようにしてほしい。それぞれの場所で、できる限りのことをして。まちがってもいい。何かをやってみてほしい。これが私にできること。これが私の祈りである。
