性懲りもなく
朝、目が覚めて廊下のカーテンを開けたら、網戸越しに雨に煙った黄色いグラジオラスが見えて、何だか気分のいい幕開けだった。
外でしっかり見たら、こうなる。
奥庭をのぞいたら、もうさすがにユリは終わりかけて、バラがまた咲きはじめてた。だけど雨のせいか何だか元気がない。雨が上がったら、新しい土を入れて、薬もかけてやらないといけない。
今日は上の家の押入れを攻略。案外恐いものは入っていなかった。叔母が遺して行った、立派な食器が新品のままいくつもあって、とりあえず箱詰めにして、親戚に送った。若い人も多いから、使ってもらえたら、叔母も喜ぶだろう。
後は大学時代からの手紙や書類の山がつまっていて、これを整理して処分したら、ほぼここは空になる。天井にパイプ棒を渡してあるので、クローゼットみたいな洒落た空間にできるかもしれない。ちょっと楽しみ。明日中には、何とかかっこうをつけたいな。無理かしらん。
電気料金節約のため、炊飯器でごはんが炊けたら、保温にしないで、すぐにスイッチを切ってボールに移してしまうことにしている。今日は性懲りもなく、何度やってもうまく行かない、おにぎり作りにまた挑戦した。魚の切り身と大葉を買ってたので、ラップで巻いて寿司もどきにしてみた。正直言ってそんなにおいしくは出来ないのだけど、食べられないことはないし、面白いから、ついやってしまう。
昨日書いた、漱石の「野分」の学者の講演の一部、
「青空文庫」から、もう少し長く引用してみた。大学や学問を「役に立つ」ものにすることしか頭にないような、多くの人たちに、あらためて聞いてほしい。もう遅いんじゃないかとは、思っちゃいけない。思いたくない。
「商人が金を儲けるために金を使うのは専門上の事で誰も容喙が出来ぬ。しかし商買上に使わないで人事上にその力を利用するときは、訳のわかった人に聞かねばならぬ。そうしなければ社会の悪を自ら醸造して平気でいる事がある。今の金持の金のある一部分は常にこの目的に向って使用されている。それと云うのも彼ら自身が金の主であるだけで、他の徳、芸の主でないからである。学者を尊敬する事を知らんからである。いくら教えても人の云う事が理解出来んからである。災は必ず己れに帰る。彼らは是非共学者文学者の云う事に耳を傾けねばならぬ時期がくる。耳を傾けねば社会上の地位が保てぬ時期がくる」