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慰められるもんならやってみろ(笑)

前の記事で、このところの私の混乱と迷走の原因をちょっとお知らせしたようなかたちになりましたが、こうやって書くからにはそれなりに、今後どうするか最低のめやすはついているし、そもそもご報告したことで全部というわけでもありませんから、言っちゃ何ですがどうせ詳しいことはわからない他人のことを、あまり親身になって心配されませんように(むちゃくちゃやなあ)。

私は今回そうやって、うっかり片づけてしまった方たちのことを、ちっとも嫌いになってはいないし、前と同じように大好きですし、はっきり言って、この話聞いて、見当違いやピントはずれの変な同情や共感や励ましを下さる方よりは、多分ずっと愛していると思います(わおわお)。

それでも、私を慰めて力づけたい、それができるという自信がおありの方は、どうしてもやってみたければ止めはしませんが、きっとろくなことにはならないから、くれぐれもご用心を。

それにしても、これまでに私からこの話を聞かれた方の反応は、美容師さんから親友から同僚から行きつけの店の方からパソコン管理の若い人から教え子の研究者からさまざまでしたが、それはもう実にみごとなお言葉とお気遣いで、何とまあ私はその方たちの一言のかけらからも傷つけられなかったし、喜びさえも感じるほど快いものしか感じませんでした。
自分は何といい人間関係を築いて来たのだと自画自賛すると同時に、私は同じ立場だったら絶対にこうはできないだろうな、しょうもないこと言ったりしたりして、へまして自己嫌悪になるし下手すりゃ相手に絶交されるんじゃあるまいかと、深く反省もしました。

そう言えば、そういうピント外れな慰めを、これまでいろんな人にした記憶もよみがえって来て、よくもまあ、つきあいを続けていただいたものだと、それも大地にひれ伏して平に感謝したいレベルです。

なので、一言で言うと、気にしないでほっといて下さい(笑)。

わざわざこんなこと書く一番の心配は、実はこの話をして、「もう老後の研究のめどが立たなくなり、することがなくなって、生きて行く目的もほぼ消えた」とか伝えると、特に九条の会とかそういう方面の方の誰かが、「あっ、そうだったら、ぜひ余った時間でアベ打倒とか平和と民主主義を守ろうとかいう戦いに余生をささげて、生きがいを見つけて下されば」とか言いそうなんだよねえ。

いやまあたいがい誰も言わないと思いますが、それに似たことを言って、励ましたり生きがいを与えて下さろうという人が、もしかしたらいらっしゃらないものでもない。

そして、他のどんな見当違いの励ましや慰めを頂いても、私は最低「あはは、こいつバカやん」とか思って(すみません)流して忘れてしまえそうですが、なぜかもう、そういう「正義の戦いに余生を捧げて下さい」っぽい言い方だけは、絶対に笑って無視さえできそうにない。
その人に対してだけではなく、多分もう一生、政治や社会に関心を持たないだけではなく、永遠に選挙の投票にも行かない気がする。そのくらいの拒絶感をそういう方向に持ちそうな気がする。

これは、誰にとっても(トランプやアベにとってさえ)、絶対に何の利益にもならない。

かつて、愛猫キャラメルが死んで、私が自分も死んだような気持ちになっていたとき、励ますつもりで「残されたミルクをかわいがってやって下さい」と何人かに言われました。
私はその人たちも全身全霊で憎みつくしましたが(愛というのはそういうもんです)、一番困ったのは、おかげで、どうしてもどうしても、ミルクを愛することができなくなったことでした。

結局ミルクを母に預け、ミルクはやがてそこから家出し、行方不明になってしまいました。そのことはまた長く私を苦しめ、今でも「ミルクを愛して思い出してやって」とか言われると、ただもう無条件で気が狂いそうになります。あなたのような人がいたから、私は彼を愛せなかったと叫びたくなる。
それと同じようなことが、またきっと起こる。

もちろん理不尽ですよ、何もかも、私の言っていることは。
でも、そういうものなんだってば。

これでもまだ、何か自分なら力づけられる一言が言えるとお思いの方がいたら、その自己顕示欲に脱帽して尊敬しますが、まあおとぎ話ではないのですから、そんなドラゴンの山に何かを取りに行くようなことはしないで、静かに暮らしておいて下さるように心からお願いします。

さてと、猫のカツジにブラシでもかけるか。今朝寝ぼけていた時に、大きな毛玉を二つほど切り取ってやったからな。少しはすっきりしただろう。

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カツジ猫