放出!放出!
とにかく、放出しなければ!
いや、もちろん、汚染水のことじゃありません(笑)。
予定はいろいろ遅れながら、家の片づけに邁進しております。書店からの返本で戻って来た数百冊を母の居た老人ホームにもらっていただき、ダンボール箱はちびちび処理し、何より万々歳なのは、うずたかく残っている、さまざまな白紙を、小説の原稿書きに費やする、画期的な計画のめどがついたこと。これでもう、何も恐くない♫
出先で持ち歩いて原稿を書く一式を入れるバッグも、これまでいろいろ買ってそのままにしておいた、いろんなバッグを次々使い倒すことにして、よく行くお店にランチのたびに持って行って見せびらかそうとはりきってたら、何と閉まったシャッターに、店主の方が足を折ったので、当分お休みとの張り紙が。何か大ショック。小さなおしゃれなお店で、閉店していても、その外見が何だかいいなあという感じなので、食事もおいしくて好きなのだけど、お住まいも何も知るわけないから、もちろんお見舞いも言えないし、心配なのか、ものたりないのかわからないけど、やっぱり心配。
私の持論で、人が死んで悲しいのは、つきつめれば結局、単にこっちが不便になるからでしかないし、いなくなって淋しいのは要するにこっちが都合が悪いからでしかないし、結局は「あんたがいないと困るよう」という自分勝手な得手勝手につきると思うのだけれど、そういうわけで、はりあいがない。
第一まだお若くて元気な店主でいらしたのに、足のどこをどうして折ったというのだろう。この前、種子島のロケット打ち上げが風の具合がよくなくて中止になった時に、ド素人の感覚では、月まで行って何かを取って来ようかというロケットが、風の具合で飛べないなんて、そんなのあるのかと驚いた、そんな感じにちょっと似てるか。
それで、とにかく、古紙だの古い手紙だの、家の外に出せそうなものは、すべてどんどん放出、排出するのを、全力で急がなくてはならない。九月中には何が何でもそうやって、家を空にしておきたい。と、今日もあせっている私だ。
今朝は、でも、ちゃんと早起きして、朝顔を見た。絞り染めみたいな薄青のがきれいだった。ラジオ体操もちゃんとすませたし、水まきもした。今日もかんかん照りだけど、せいぜいがんばるぞ。適当にばてながら。
嬉しまぎれの朝顔の写真のオンパレードです。