六年生の夏(30)
8月29日 金曜 天候◎ 起床6時0分 就寝10時30分
ラジオ体操をしに駅に来て見ると、たいして早くも無いのにまだ誰も来ていない。下りの汽車が(この汽車が行った後、すぐ体操がまじまる)来た頃、やっと男の子が二、三人、ばかみたいな顔をしてやって来た。桜井さんと秋好さんも来たが、誰も彼も皆、火星旅行から帰って来たようなかっこうでやって来た。曲が始まったら安本さんが、くらげが泳ぐみたいにふうらりふうらり、やって来た。私を見ると柳の下でしか聞かれないような声で、「おーはよおうう。」と言った。目を半分しか開けてないので、ねこが死んだ時の顔によく似ていた。体操をして、やっと皆、正気に返ったらしく、私が、どうしてそんな顔をしてると聞いたら、かなりはっきり、「昨日、盆おどりに行って、しまいまで踊っとったけん。」と答える。皆、寝るのが早いので、ちょいと夜ふかしすると、相当こたえるらしい。私は、ふつう11時頃寝るから、少々おそくなっても別にどうと言う事もない。とにかく、今日は男子も女子も欠席者がずっと多かった。情ない話だ。
私の口の悪さや、えらそうな物言いはともかく(笑)、当時の田舎の盆踊りって、相当な大イベントだったんですよね。私もかなり大人になってからも、川の土手でやぐらの上でにぎやかに太鼓が鳴らされ、男性たちが交代で「くどき」を歌い、皆が二重三重の輪になって踊り狂っていたのに加わって、見様見真似で踊っていたのを覚えています。一度たまたま来ていた叔父の板坂元が、踊りを見ていて、「あのステップはなかなか変則的で難しい」と、評していたのも思い出します。ちゃんと歌える人も、次第に少なくなりつつありました。「まっかせ、はやせ」というリフレーンを覚えていますが、意味は不明、その時も、今も。
でも、翌朝の、この駅の子どもたちの状態は、何だか「宴のあと」って感じでいいですね。
写真は私の家から見た、川の向こう岸。この土手で、盆踊りをやってたから、こちら側からは特等席で、影絵のように全貌がよく見えました。
それとラジオ体操は私も今毎朝、寝ぼけながらベッドの横でやってますけど、あのころとまったく変わっていないというのが、思えば何とも偉大ですねえ。今、私は第二体操までやってますけど、当時の子どもたちがやってたのは第一体操だけで、その5分か10分のために、皆が集まって来ていたというのもすごい。
お、おそろしいことに動画があったわ。うちの地区からはかなり遠いけど、同じ宇佐市だし、「まっかせ、はやせ」はよく聞こえます。
他にもいろんな記事があって、なかなか奥が深そうです。