救えないのは。
◇「ラスト・タンゴ・イン・パリ」のレイプシーンが本物だったという話、救えないのは加害者の一人のマーロン・ブランドが、権力に抗議する反体制の闘士としてのイメージがあったことだ。事実そういう面もあったことだ。
リベラルとか左翼とか言われていて、自分もそのつもりだし、けっこういい仕事もしている人たちが、女性に対してはあっけにとられるほど鈍感になることは珍しくないから、驚くことではないのかもしれないが、でも、やりきれない。
もう一つ救えないのは、被害者の女優マリア・シュナイダーが、このことについて何も言えないままだったことだ…と書こうとして確認したら、何と彼女は生前何度も公式にこのこと発言してるんじゃないか。今回、監督が口にするまで、それでも騒ぎにならなかったってことか。そりゃまたそれで、救いがない。彼女の絶望や怒りはどれだけのものだったろうと想像するだけで、こっちが絶望したくなる。
◇「こんなことは、他にもきっと多いだろう」と書いている人もいる。それで思い出したのだが、昔「アンネの日記」の映画化でアンネを演じた、ミリー・パーキンスという新人女優がいた。パーキンスって芸名は多分アンソニー・パーキンスにもらったかちなんだか、そんなんじゃなかったろうか。清楚なきれいな女優さんで、映画もよくできていたのだが、そのあとすぐ、引退したか、いなくなってしまった。(今検索したら、それなりにテレビなどでがんばっていた。)
当時ちょっと話題になったのは、彼女がかなり過激に(まあその頃の標準ではってことだが)映画界や芸能界を批判する発言をしたことだ。「ある大物演出家(監督だったかも)は、私が彼と寝ることを当然のように求めた」というようなことも、その世界の非常識や腐敗の一例として彼女はあげていた。
全然問題にも何もならなかったし、まだ子どもだった私も、それを読んでふうんと思ったに過ぎなかった。でも、今思い出すと、あれも氷山の一角でなくてもひとかけらだったと思うし、よくハリウッド映画やドラマに登場する酒浸りヤクびたりで身をもちくずして行く名女優たちは、あれきっと皆、孤独のどん底で一人で戦いつづけていたんだろうなあと思う。
(つまらーんことを思い出すのだが、たしか院生時代だっけかに、そういうよれよれになってしまう女優の映画をテレビで見て陰隠滅滅となり、むしょうに親友に電話したくなったが、そこまでヤワな私じゃないやいと我慢して仕事していたら電話が鳴って、とったら、その親友だった。そして「ねえ、あんた、テレビでさっきやってた映画見た? もう私、落ちこんじゃってさ」とか言うので、私は大爆笑してしまい、二人で「あの場面がさ」「あの表情がさ」と嘆きあって盛り上がったっけ。)
それと私は、こんな風潮が常識で普通だったころに、いろんな体験や感覚やその他もろもろから、それに違和感や嫌悪感や拒否感を感じて同調できなかった数少ない(多いとは絶対言わせない。今の現状を見てもそれは考えられない)男性たちの、孤独と絶望もまた思う。彼らへのいろんな攻撃や、彼らが味わっていた苦痛は、もしかしたら女性たち以上のものだったかもしれないと想像する。
私たちは時を超え、距離を超えて、つながらなければならない。これに限ったことではないが。