日の出前
今日は寒くなるということですが、御天気は良いのでしょうか。パソコンを打って居る窓から黒ずんだ山の向こうに透き通った青い空と雲が見えて、間もなく太陽が昇りそうです。
じゅうばこさん
介護の本は本当に多く出る様に成りました。心がけを説いた様な物は今更要りませんが何か具体的な技術や情報が手に入ればと思って立ち読みして見たりして居ますが、なかなかそういった内容の本は有りません。
特に、私の場合最初の最大の誤算は「家人が居たら(帰省して来て居ても)ヘルパーは派遣出来ない、一切のサービスは出来ない」という規則でしたが、この事を取り上げた本が無いのに驚きます。
これは地域に依って異なる、いわゆる「ローカルルール」でも有る様ですが、耳にした話でも多くの地域で守られて居るのではないかと感じます。私は自治体や事業所と相談して随分配慮はして頂いて居るのですが、それでも私が母の傍に居る時は食事も掃除もして貰えないのが規則です。
先日NHKのテレビで無縁社会に日本が成りつつある問題を取り上げ、独居老人の場合、公的な支援が入ってヘルパー等が来る様に成ると地域の人が引いて仕舞うという事が話し合われて居ましたが、そこでもこの規則の事は話題に成りませんでした。
私の感覚では地域の人どころか家族でさえ、「居たら世話出来ない」という規則が有る限り、介護サービスを受けるのと引き換えに親と同居するのは勿論、帰省したり立ち寄ったりするのさえ、心理的に困難に成ります。
遠距離の家族の場合、月に一度の帰省の人、週に一度の人、様々ですが、帰る事自体が肉体的に大変な負担です。それでも帰った途端に親の食事の世話までしなくては成らないのでは、私の様な老々介護の場合は特に、共倒れを避けようと思えば帰るのを控える様に成ります。
その実態を話せば幾らでも話せますが、ともあれ、そういう現状を感じられない机上の感覚で「たまに帰った時ぐらい家族が面倒を見てやるのが当然」「同居して居るのなら家族が世話する方が幸福」等の見当違いな人情論で処理されては、結局家族も親の居る家に近付けません。近付こうとは思いません。
昔、母が元気な頃は遠距離を帰った私に食事を作ってお茶を出してくれ、それで私も何とか人心地がつきました。
母がそれを出来なくなった時点で、公的介護が保障するのは、母が出来なくなった家事や日常生活を支援し、補充する事だとしたら、本当は家族や隣人が訪れた時、応対し接待する事も、「出来なくなった事をして人間らしい暮らしをさせる」中に含まれるのではないでしょうか。社会的な交流、家族の中での役割を維持する為に、この事はとても重要と思います。
そこまでは無理でも、母自身の食事や掃除は、家族が居ても隣人が居てもしてくれるだけで、どれだけ家族や隣人は寄り付き易く成る事でしょう。
そもそも私が母との同居を諦めたのも、この規則が有ったからでした。今でも私が帰省する上でこの規則は心理的にも現実にも大きな負担と障害を生んで居ます。介護保険そのものには大変助けられて居ますし、ケアマネージャーもヘルパーさん達も最大限の事をして下さっていて、その事には深く感謝しています。その上であえて言うならこの規則は、家族や知人を独居老人から追い払う役割を果たして居ます。
ヘルパー関係の方に聞いた話では、昔は盆暮れには家族が帰省してヘルパーも暇だったのが、最近は正月はともかく盆は通常と変わらないそうで、独居老人の許に帰省する家族が減って来て居るそうです。それも、この規則と関わって居るのではないでしょうか。
外は明るくなって鳥も鳴いて居ます。母もそろそろ起きた様なので、これで失礼致します。
アパートの方は、お二人から頂いた色々な小物を飾って、居心地の良い空間に成りつつ有ります。