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昔の書き初め、昔の童話

上の家はあいかわらず散らかりまくっているのだが、いつもやりはじめた片づけを頓挫させるのが、叔父(板坂元)や叔母の子どものころの書き初めらしい、半ば手作りのぼろぼろの軸で、どう考えてもまともな人なら即処分するゴミでしかないのだけど、祖父母や母がとっておいたものの連鎖を自分が断ち切る勇気がなく、うじうじとまたしまいこんでいた。

正月に一念発起して、近くの掛け軸などを扱う店に行って、一番安い軸装にし直してもらった。ひとつが三千円弱で安いっちゃあ安いのだが、八本近くあったので、二万六千円の出費になって、もう私の老後の資金はぼろぼろだ。きっと岸田界隈の会食の一回分にもならんのだろうと思うと、さらに腹が立つ。

どうせだからと、軸装の色はすべて変えてちがうのにした。何しろ安いので、ちゃちな作りではあるけれど、一応これだけきれいにしておけば、親戚に送って皆でわけてもらっても何とかなると考えてしたことでもあるのだが、出来栄えを見ようと、上の家のあちこちを整理してかけてみたら、案外へやが引き締まって面白い雰囲気になり、片づけの起爆剤になりそうだから、しばらくこのままにしておくことにした。軸は八つあるので場所はたりないのだが、ときどき掛けかえて気分を変えて楽しむのもいいや。

叔父はこれを八~十歳の時に書いたのでしょうか。ふだんの字は小さくころころしてまったく上手じゃなかったのに、筆の字は案外まともで力強いのがふしぎだ。

ドイツを始め欧米の各国が、最強戦車のレオポルドとやらをついにウクライナに送ることにしたとかで、思わず喜んでしまった自分が何だか情けなくて、複雑な気分になっていた。そうしたらプーチンがスターリングラードでドイツに勝利した記念日の式典か何かで、「再び我々はドイツ戦車に脅かされている」とかぶちあげたらしく、もう本当にげんなりした。

あそこの戦いは、もう本当にものすごいもので、市民も兵士も多数が死んだ。「戦争は女の顔をしていない」のコミック版でも、その凄惨さは描かれている。その戦いで生き残った女性兵士たちは、「これで人類は戦争をもうしなくなる。世界に平和が訪れる」と希望を語りあっていた。戦後、子どもが持ってくる戦争関係のおもちゃは全部捨ててしまう母親の話もあった。今、その女性たちはどんな思いで最晩年を過ごしているのだろう。思うだけでも、くやしくてつらくてしかたがない。もしかして、このウクライナ侵略の初期、抗議行動を一人で街頭で行って逮捕されていた、小さな老婆たちは、彼女たちの中の誰かではなかったのだろうか。そうとしか思えない。

ナチスを追い出して祖国を守り、戦争が終わったものの、焦土と化して女子どもしかいない小さな村を舞台にした童話「こぐま星座」を、まだほんの子どものころに私は読んだ。けなげで強気な少年サーシャ、パルチザンにいた少年フェージャ、いっしょに読んだ母がお気に入りだった元気な少女マーシャなどは、現実の友人たちと同じか、もしかしたらそれ以上に私には親しい存在だった。

あの人たちが戦って、追い返したドイツ戦車と守った祖国を、今の自分の狂気の愚かな侵略と重ねて語るほどの冒涜があるだろうか。片づけの合間に見つけた、古いぼろぼろの「こぐま星座」の本を読み直しつづけながら、凍った川の春になって割れる音、小麦の香りなどをページの間からよみがえらせながら、なつかしさにもいやまして、私は怒りがとまらない。

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カツジ猫