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昔も今も

日本軍が、戦時中にオーストラリアの看護婦さんたちをレイプした後に銃殺したという事実が明らかになったというニュースを聞いて、以前にラッセル・クロウにはまって彼の古い映画を見ていたとき、「ヘヴンズ・バーニング」だったかなあ、老いた農園主が、日本軍への鋭い批判を口にする場面があったのを思い出した。

言ってみりゃ、ただの恋愛映画だったのに、唐突でもなく自然な流れの中で、そのせりふが出たことに、ああ、オーストラリアでは日本の戦争犯罪の記憶は本当に日常の、歴史の、当然の、常識なのだなあと、こちらも自然にそう思った。

もっとずっと前の学生時代か院生時代に見た中国映画の「紅いコーリャン」でも、日本軍の残虐さが、どういうか激しさや憎しみさえなく、民話のように話の流れに溶けこんでいたのを見て、なるほどアジアの人々にとってはこういうことはもう、決意も構えもなくペリーの黒船来訪とか関ヶ原の戦いぐらいの、あたりまえの常識なのだと、胸にしみた。

そのオーストラリアでさえも、あまりにひどすぎる事実だからと、これまで遺族にも伏せて、いわば隠蔽して来た事実が、多分「恥ずかしいのは被害者ではない」というフェミニズムの確固たる凛然たる姿勢から、今回白日のもとにさらされることになったのだろうけど、その事実に慄然、索然とする以上に、人類がそれに向き合い見つめられるようになったという、ある力強さと希望を私は感じる。

そして日本では、伊藤詩織さんをレイプした山口何とかが、逆に詩織さんを訴えたとか。よっぽど日本という国が昔も今も変わってないことを世界にアピールしたいのだろうと唖然とするが、いや他に何がしたいの。冗談でなく。

さてそのラッセル・クロウが父親役で、ゲイの少年の苦しみを描く映画「ある少年の告白」が、福岡の映画館で金曜までというので、昼の回を見に出かけた。街に出るのが久しぶりだったせいもあって、バスの時間のかかり方を甘く見ていて、数分の差で、街に着いたときは上映時間を過ぎていた。
ムカついたので、道路を横切って反対車線のバスに乗って、そのまま帰宅し、自宅近くでの買い物やクリーニングを一気に皆片づけて、食事して花植えて猫の世話して、一息ついたらもう夜中。

ソファをかつぎ上げた二階のへやも、下の居間もまだ散らかっているが、なかなか快適な空間になりつつある。しかし、こんなことにはまっていては、時間がいくらあっても足りないから、そろそろ、とりあえず家の中をきれいにして、本来の勉強にはげむために、明日から撤収作業にかかりたい。

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カツジ猫