映画「ウエストサイドストーリー」感想など。
◇この前レンタルショップでDVDになっている「ウェスタン」を見つけて、昔映画館で数回見たのを思い出して借りて来た。あっちこっち忘れていたが、あのテーマソングみたいな音楽だけは、これまで忘れたことがない(笑)。やっぱり面白くて満足した。まあ、ヒロインに「ケツをたたかれても知らん顔をしとけ」なんて言うせりふは、今なら絶対突っこまれるだろうけどな。それに、冒頭の薄汚い三人組のどアップの映像が10分以上も延々と続くのは、今の若い人には耐えられないかもなあ。
それで、ネットで感想見て面白がっていたら、はずみで検索にひっかかって出てくる「ウエストサイドストーリー」の感想がこれまた面白くて、つい今日は「ウエストサイドストーリー」のDVDを借りて来てしまった。
こちらは映画館にかかるたび見に行って、もう何十回も見ているから、映像も歌もせりふも俳優の表情もしぐさもほぼ全部覚えている。にもかかわらず、見ていると快い。
それだけでなく、今見ると妙なリアルさや生々しさがあった。何でかと思ったが、考えてみると、これを初めて見たときからずっと、映画の中の移民たちが受けてるような、人種差別や民族差別を戦後の日本で私は身近に見たことがなかった。むろん潜在的にはいくらでもあったはずで、在日の人アイヌの人日本在住の欧米の人などが、私のこんなせりふを聞いたら、何も見えてなかった能天気さを笑われるだろうが、少なくとも週刊誌や書店がまともにそんな表現をすることはなかったし、私の周囲のものすごく保守的な田舎でも、他国や隣国の悪口を大っぴらに言う人はいなかった。自主規制というような上等な発想はない人たちだったから、多分実際に他国の人に対して、そんな敵意や反感や軽蔑を誰も持ってなかったのだと思う。あ、潜在的な軽蔑はずいぶんあったと思うが、それがかえって一種の余裕を生んで、どういうか人心が安定していて、ヒステリックな憎悪はなかった。どっちがましかはよくわからないけれども。
だから、あの映画の中の強い民族的対立や移民たちの集団社会への執着は私にはほぼ完全に、遠い映画の世界の話だった。何度も見る内、ベルナルドが妹をあれだけ自分たちの社会につなぎとめようとする意志の強さの理由も次第にわかって来たし、リフたちもまた先住の移民で既得権益を守ろうとする危機感で必死なのだということなども納得できてはきたけれど、それはまだ理屈の上でだった。
今ヘイトスピーチや嫌韓本などの横行の中、ベルナルドやリフたちの抱いていた恐怖や怒りや同胞意識は昔よりずっと私には身に迫る生々しいものとなってきている。そして、そのような対立を破って愛し合うことが、いかに途方もない大胆なことだったかということも、息づまるほどの切実さで理解できる。
◇そして、最初に見たときから気味悪くていやで、目をそむけずにいられなくて、でもその自分の気持ちに何かとても重要な問題が隠されていることもわかっていて、重苦しくつらかったのが、男たちの仲間に入ろうと必死になっているボーイッシュな少女エニボディだ。
あれは、わざとそうしたのだろうか、それともあの頃は少年っぽい役をさせようとしても、あんな女優しかいなくてあれが限界だったのだろうか、多分前者と思うのだけど、あの女優は体型がむしろ非常に女性っぽくて尻も大きく肩幅は狭く、顔も淋し気で暗い。歯切れの良さも爽快さもない。
それが、少年のかっこうをして彼らにつきまとう、醜さ、哀れさが、まるで自分を見ているようでつらかった。
ベルナルドの恋人アニタはもちろん、リフやアイスの恋人グラジエラやベルマが、それぞれオンナを十二分に発揮してカッコいいのに比べて、エニボディのあの中途半端な異様さが見ているだけで苦しかった。
しかも彼女は最後に近く、アニタのリンチ場面で、同じ女を守ろうとするどころか、男として見てもらおうと思うあまり積極的にアニタを激しく侮辱し攻撃している。
私はいつもごく自然に、女らしさを放棄し男に伍して生きようとしていた。そんな自分の末路を見るようで、あの場面にはいつも、ぞっとした。
ヒロインのマリアが最後は聖少女のように、あくまで少女の姿かたちと心のままで、アニタやグラジエラたちのような男を支える伴侶としての女性ではなく、男世界の論理と対立を崩壊させる怒りに燃えた、愛と平和の戦士としての女性として、並み居る男を、警察関係者の権力者まで含めて圧倒し、場を支配する最高の強者となるとき、エニボディはうなだれて、しおしおこそこそ去って行く。ざまみろとさえも言えないほどに、彼女のその末路を見るのがまた、やりきれなかった。
「私にはロシアがある」という、今ではネットの検索でもひっかからない本のことを「れくいえむ」に関するエッセイの中で紹介したが、多分同じように、今では誰の記憶からも消え去っている本で、そのころ(…って、いつごろか覚えてないが、多分私が大学院生のころ、今から40年以上前)買って読んだのが「ハーレム街の少女ギャング」という本で、それには多分「ウェストサイドストーリー」に描かれた時代の少しあとぐらいから、エニボディのような少女たちは男の子たちとは別に、自分たちで不良グループを作り、対立し抗争し、男以上に危険な存在となって行ったことが紹介されていた。私はそれを読んで、少々かかなりか、救われた思いがしたものである。
◇死んだ黒猫バギイをしのんで、このブログの背景を黒猫のいる絵に変えていたのですが、文字の色がちょっと薄くて読みにくいので、また変えました。当分はバギイの喪に服す感じで、ちょっと地味めにしておきますので、あしからず。