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映画「スノーデン」。

◇昨日の昼で「スノーデン」の映画が最終上映だったので、前日徹夜で採点して、「どこが悪かったかわからない」と質問に来るかもしれない学生のために、掲示する採点基準までくっつけて、朝いちとは行かなかったが大学の事務に持って行って、そのまま映画館に行った。映画はさすがのオリバー・ストーン、手堅く熱くサービスもよく、地味なようで派手なエンターテインメントになっていて、楽しめた。

何よりちょっと驚いてうれしかったのは、老若男女、かなり観客がいたことで、下手すりゃ私一人で見ることさえも時々ある、田舎のシネコンとしてはそこそこの入りだったこと。あのくらいならもっと上映のばせばいいのに。どっかからの圧力でもかかったんとちがうかと勘ぐりたくなる。

何しろ徹夜明けで、最初少し寝てしまったので、たしかなことはわからんが(笑)、またDVDでじっくり見ることにして、国民の「知る権利」、それとセットの「政府に知られないでいる権利」について、あらためて念を押され確認させられてる気が終始した。
スノーデンは大変な優秀な頭脳を持つエリートだが、その精神と心情も健全で強靭な人だったのだとつくづく思った。こういう人が一人しかいなかったことに絶望するとともに、それを上越す一人でもいたことへの希望がわきおこる。

◇実は私はトランプが大統領になってしたい放題しているのを見聞きするにつけ、ハーバートだかその他のどこだか知らんが、アメリカの世界最高の知能や頭脳がいくらいっぱいあったって、あんなものを大統領にしてしまうんじゃアメリカの文化も伝統も知性もまるで役に立たないし、そこらの日本の田舎の議会(玄海町議会や宗像市議会や宇佐市議会を特に連想しなくてもいいです)ほども大したことはないじゃんかと、相当バカにして、だからエリートだの何だのって頼りにならんのだよ、何がポピュリズムで衆愚制だよ、顔洗って鏡見てから言えとかひそかに考えていた。今もまあそうは感じているのだが、「スノーデン」を見ていると、アメリカの知性のエリート集団には、もっと高尚な企みが実はあって、あんな大統領を作ったのも何か壮大な計画の一環ではないかと映画の前半ではふと思ったりした(多分まちがい)。

しかし、その一方でスノーデンを支え支持した人々、その声に耳を傾けた人々の姿を見ていると、まさに今トランプと対決し抵抗しているのは、こうした人々と、その精神なのだなと、ひしひしと実感した。
同時にオバマ政権であっても、スノーデンを圧殺しようとする、こういう事態にはなるのかと思い、一方でオバマ政権だったからこそ、最低最小のモラルは守られたのかとも思った。これがもし、トランプ政権下ならアベ政治下なら、共謀罪が成立していたら、とてもこうはならなかったのかもしれないと、ずっと、ぞっとしながら感じてもいた。

スノーデンの話は一応はハッピーエンドというか、彼本人は悲惨な末路は遂げていない。大ざっぱすぎるくくりだが、この若い優秀な、ヒステリックさや脆弱さのまったくない、俳優もうまく表現しているが、いかにも普通で平凡でエキセントリックな芸術家風では全然なく、オタクっぽさもない、面白くないほどの健全な優等生が、そのまんまの様子で国を告発し権力と対決する姿は、シールズはじめ日本の若者たちの姿ともかぶる。最近の告発者や抵抗者は、殉教者風の顔はしないし、実際そうなる気もないし、そうなりもしないのだとわかる。いや、大変によいことだ。

しかし、沖縄密約を暴露した西山記者の時もそうだったが、この私でさえ、話題や名前は知っていても、その意味や重要性にはほとんど気づいていなかった。すべては何だかうさんくさい霧の中のように伝わってきた。あれだけ必死でスノーデンを守って伝えた報道関係者の努力と戦いにもかかわらず、その真相と持つ意味は、決して十分に世界に届いたわけではない。政府や権力者の激しい隠蔽工作は、たしかにある程度どころではなく成功はしているのだ。

それをわかりやすく面白く、その本質を正確にこうやって映画にして伝えたストーン監督の功績は大きい。そして今ごろ何を言ってるんだと言われそうだが、この監督がベトナムに従軍し、その体験をもとに「プラトーン」を作ったことをあらためて思うと、あー、この人がベトナムで死なないで本当によかったと感じ、しかし、同じように優秀で聡明で力強い精神や正義感やすぐれた才能を持った多くの人が、ベトナムでもアメリカでも、あの戦争で(どの戦争でも)死んだのだろうと連想し、その損失と喪失の大きさに、あらためて唖然とする。

◇映画の終盤、スノーデンが特に気負いもなく淡々と口にして人々に訴えることばの数々は、そのまんま共謀罪への抗議のデモのプラカードに書けそうな、まっとうで力強い正しいことばばかりだった。彼はそこで、無駄なことは何も言わず、被害者意識や負け犬根性はかけらも見せない(かくしてさえもいない)本当の意味での優等生のエリート風に、国や世界を愛するからこそ、人は不正を告発しなければならず、大きな権力を相手にしても戦わなければならないことを、正確に述べる。

ヘンリー五世のアジンコートの戦いの前の演説はシェイクスピアの演劇で有名だが、ああいう名調子、熱のこもった訴えは、今の時代ではないのかもしれない。それに匹敵するスノーデンの訴えは、まるで電子機器のプレゼンのように、静かに理性的に落ちついて無駄なくなされる。すべてを失ったとしても彼は完璧な「勝ち組」だと聞く人に伝わる。ヘンリー五世の兵士たちのように、戦う前から勝利を確信して彼に続こうと思わせるような。

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カツジ猫