映画「ミッション 8ミニッツ」感想。
見始めてすぐ、異様なまでにくっきりと美しい町や野原の映像に、妙に非現実的な完璧さを感じ、その直後の列車内の場面を見ていてすぐ、あー、無理なことではあるけれど、予告編や映画評で、筋っていうか設定を知ってしまって失敗したなー、これ何も知らないで見たら冒頭どんなに面白かっただろうと、くやしかった。その腹いせというわけでもないけど、当然すべて、ネタばれの感想です(笑)。
それにしても、「マネーボール」もそうだったんだけど、最近のハリウッド映画だかアメリカ映画だかは、ほんとにどれもこれも結局のとこ、前向きで明るいなー。これって、たのもしく思うべきなのか、現実がよっぽど行きづまってるからなのか、私にはわかんないけど。
たとえばベトナム戦争のころだっけか、「ジョニーは戦場へ行った」って映画が(原作の小説も)あって、あれ今なら確実に暗すぎる、ヒットしないとかって配給会社が公開もしてくれなかっただろうけど、そのころはあんなに地味で救いのない映画も、ちゃんと公開されて話題にもなった。で、これもネタばれですが、戦争に行って負傷して目も耳も口も手足も失って意志疎通も不可能な青年の、実はしっかり意識がある心の独白で、最後は周囲との交流に成功するんだけど、彼が自分の姿を公開してくれと願ったのを、関係者(軍や病院や政治家とか)は聞き入れず、彼は意志疎通ができないことにされたまま生かされて、死を願うけどそれもかなわず、同情した看護婦が殺してやろうとするけど、それもだめで、結局彼はそのままになる、とか言う、もうあまりにも救いのない話だった。
今回の、この映画の設定もちょこっとそれに似たところはある。負傷して死に瀕して生かされてる若い軍人の脳を使って、列車の大事故で死んだ一人の若者の死の直前の記憶に潜入させ、事故が起こるまでの8分間に列車内で爆弾をしかけた犯人を発見させ、引き続く同じ犯人によるテロを防ごうという、画期的な(そりゃ画期的だろうさ)科学捜査の話である。
主役の軍人は実はもう身体は残骸程度にしか残っていなくて、本人は手足もあってカプセル内で実験に携わってる自覚があるが、それは脳の幻想にすぎない。で、最後には彼の意識はみごとに犯人をつきとめ、人々を救い、恋人を得て新しい人生に踏み出すが、そうなると事故は起こらなかったことになるので、実験はまだ始まっていなくて、彼の身体の残骸と脳は、もとのまま研究施設に残されている。彼と協力した女性科学者は、事件の解決と同時に上司に逆らって、研究施設内の彼の肉体の残骸と脳の生命を停止させるのだが、その事実も消えてしまって、彼の残骸はまだ生きて、新しい犯人探しの実験を待っている。しかし、車内の人物と一体化して新しい人生に踏み出した、彼の意識は女性科学者を通して、その肉体に「大丈夫、きっとうまく行く」とエールを送るのである。
以上、とことんネタばれだが、これを言わないと感想も書けない。
こういう肉体と精神が別個に活躍する話は、「マトリックス」から「インセプション」から「アバター」から、最近ほんとに多くて、それが現実逃避のようで、そうではなくて、その仮想世界での戦いや努力が現実を変える、救う、という基本的な設定も、これらの作品は共通している。
今回のこの映画の場合、足が不自由だった「アバター」とさえも比較にならないほど、現実の主人公の肉体はむざんに破壊されている。そのわずかに残った脳を使いたおして、犯罪捜査をさせまくろうという軍の上層部だか科学者だかの発想は、たしかにあこぎで残酷で、だから女性科学者もそれに反発して、生命維持装置をとめたりするわけだ。それもまあ無理はない。
しかし「ジョニーは戦場へ行った」の、あの救いのない悲惨さを思い出すと、こんな肉体のかけらになって生かされているのはどうかとは思うけど、しかし同じ生かすなら、ちゃんと人間に貢献する意義ある仕事をさせてもらってるだけでも、この主人公(のかけら)は幸福で光栄ではないかと、つい考えてしまうから私の感覚も始末が悪い。