映画「ロビン・フッド」感想5
こういうのって、どこまで「昔はしかたがない」で免罪されるのかなー。だってそれ言うなら、チンギスハンもアレキサンダーも他国への侵略者でしょ。奴隷制も大奥も時代がちがったらしかたがないと、その再現は絶対に許されなくても、お話の中での価値観は、それとは別にあるんじゃないだろうか。
そこにそんなにこだわるのも、つまりねえ、実はねえ、リチャード王が立派でカッコよくて、国民が帰還を首を長くして待ってる「いい王様」でなかったら、「ロビン・フッド」の話っていうか世界っていうかは、もーのすごく成立しにくくなるんですよねー。少なくとも「アイバンホー」が基盤にしてる世界はねー。
だから私はケビン・コスナーの「ロビン・フッド」見て、がっかりしたし腹立ったし、何だかすごく不愉快だったのなー。楽しいおとぎ話の世界に変な歴史的価値観さかしらに持ち込んで汚すなよーと思っちゃった。
もう覚えてもいないけど、たしかあの映画のロビンは、リチャード王の侵略に批判的で、だから映画は暗いし重苦しい。それって、「ロビン・フッド」の世界とは対極の雰囲気なのに。だから私は、あの映画も監督も俳優も許せなかった。どうでもリチャードのしたこと批判したいんだったら、せめてロビンもいっしょに批判しろよと思いました。とにかく不愉快でしたねー。
でも、それは多分それ以後の映画の基本になったし、だから「ロビンとマリアン」じゃ、今度はマリアンがリチャードに従ったロビンを断罪し処刑するんですよね、言ってみれば。
まあ、ケビン・コスナー版で免疫できていたから、そう驚きはしなかったけど、この映画も私は嫌いでした。
何より、どっちの映画も、全然、原作(もとの伝説)を愛してないよなーと感じました。新しい解釈もいい、歴史的見解もいい、でも、その上で原作の味を生かすことはできないのか。
原作を深く愛した上で否定し葬るなら、私もまだ許せたし、その苦さにともに涙できたでしょう。私にはあの映画は二つとも、「こんな気のきいたことして見ましてん」という、こざかしい、したり顔の人たちが生みだしたものにしか思えなかった。
だから、今回の映画も、実はむちゃくちゃ心配だった。実は私はもう映画で「ロビン・フッド」の世界を見るのは死ぬまで無理だとあきらめていて、それでいいから、せめてもう作らないでいてくれとまで思っていました。それが何だか大がかりにどっしりじっくり作るとか言うから、ひょっとしたら、いくらラッセル・クロウが好きでも、この映画でもう縁切りかなとまで考えていました。
何しろ私「アーサー王物語」も大好きだったので、最近の「キング・アーサー」にはあらゆる意味で吐き気がし、監督が原作はろくに知らないし興味もないみたいなこと言っていたのを聞いたときは(映画の出来から考えて、それは照れとかじゃなく事実だろうなと確信できたし)マジで殺意を感じたし、おかげであの映画に出ていた俳優さん全員、けっこうタイプとしては好きだし、その後私の見たい映画によく出ているのに、あの映画に関わりがあると思っただけで、もう絶対に見る気にならない、上映している映画館に近づくのさえイヤという状況なんですからね(笑)。
しかもリドリー・スコット監督がまた、「キングダム・オブ・ヘブン」で、あれだけ十字軍の欺瞞と醜悪さを描いて見せた人だしなあ、どう転んでも今さらしらっとリチャードを美化できるわけがない、どうする気なんだろ、と、なかばやけ半分の興味を抱いていたのですよ。