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映画「侍の名のもとに」感想もどき(3)

3 立派な主役

ちなみにこの映画、映画館での上映は今日で終わりました。DVDになるといいのですが。自分が買いたいからだけじゃなく、その理由はあとで述べます。
一応上映が終わったからには、ネタばれも許されるかと思いますので、以下は全編、細かいところまで、あらいざらいの総ネタばれです。お許しを。

ネタばれと言えば、この映画の冒頭は、最終戦で優勝が決定する瞬間です。ベンチの中をカメラが動き、選手たちの目でグラウンドを追います。そして彼らがかけだして行き、そこから場面は二年前の稲葉監督の就任場面に戻ります。だからまあ、見に来る人はたいがい知っていることでしょうが、仮に知らない人が見に来ても、結末は最初からわかっているわけで、あとはせいぜい、自分の好きな選手や好きな場面がどういう風に描かれるかを見守る人が多くなるはずです。

ただ、私もそうでしたが、多分そういうことに関心があった人でも、この映画で初めて、ああ全体はこうなっていたのかと、プレミア12の全体像をつかんだ気持ちになった人は多かったと思うのです。この映画は、明らかに、そこに照準を合わせています。だから観客を満足させるし、作品として成功しています。
しかし、もちろん、その全体像だって幻想ではあるわけです。ああこれがプレミア12なのかと皆がわかった気持ちになるだけのことで、実際には削られた部分もすごくある。でも、それでいいのです。そういうイメージを作って、与えることが大事で、それを意識的にちゃんとやっているから、いい映画になっている。

私が最初におやっと思ったのは、この映画、肝心のところをぱっと飛ばすのです。あれだけさんざん、最終メンバーの選考に時間をかけて描きながら、それを発表するここぞという記者会見の場面を、ステージに出て行く監督の姿で切って、すっ飛ばすんですよ! 夢かと思いました。次の瞬間、やるう、おっしゃれー、その他もろもろがこみあげて、座席で一人でうなりました。
もうひとつ、最後の優勝決定の瞬間もすっ飛ばします。これは冒頭に描いているから重複を避けたのでしょうが、二つとも、ベタな、アホな、普通の映画だったら、ダメ押しだろうとくり返しだろうと何だろうと絶対に、はずす場面じゃないですよ。あ、最終戦のメンバー発表もたしか中途でフェイドアウトしたな。そういう、普通なら延々と引っ張る場面をわざとみたいにカットする。自信がなくっちゃやれません。

これも、この種の映画でどのくらい普通なのか知りませんが、選手や監督の家族やファン、球場の外の人をまったく登場させない。まさに一ミリも描かない。ファンはあくまで球場にいるマス、集合体としてしか描かれない。この意識した徹底ぶりも私は非常に快かった。誰の息子でも夫でも父親でもない存在として、それでも際立ち浮き上がる、一人ひとりの選手やコーチの個性。私が常々なつかしむ昔の海外ドラマや映画の登場人物、家族も過去もいっさい描かれない「ナポレオン・ソロ」や「大脱走」のヒーローたちを思い出させる鮮やかさでした。

その中心にいる稲葉監督について。またもやくり返しますが、私は野球にさほど興味はなかったので、プレミア12も実はろくに見ていないし、稲葉監督のこともこの映画を見るまで、まったくと言っていいほど知りませんでした。
しかし明らかに、この映画はこの人を主役として使っています。使い倒しています。
このへんが、どこまで計算か偶然かわからないのですが、たとえばもっと外見が地味な監督や発言が意味不明な監督や態度その他がぶっとんでる監督だったら、この映画はどういう風に作られたのでしょう。同じように作ってもちがったものになったでしょうし、そもそもこんな作り方はできなかったのではないでしょうか。

体格も顔立ちも歌舞伎役者のように立派で、単純に観客の目を楽しませる。声や口調も温和で明晰、自分の意図や感情を常に分析して人にわかるように伝えられる能力もある。そうやって語る理想のチームや計画の、ある意味、出来すぎた教育映画のような整い方。主役として、まず申し分ないこんな人をよく抜擢したなあ、と思わず錯覚してしまいそうになる。いや、オーディションなら、あまりに無難で完璧すぎて、リアリズムに欠ける、とはねられそうなぐらいです。
見てくれがいいだけではなく、それに見合うだけの、にじみ出る人間性も伝わって来る。この映画の成功は、この人が監督で、こういう役者を主役に据えられたということも、かなり大きいのじゃないでしょうか。
この人が語り、態度でも示す、良識そのもののチーム作りには文字通り一分の隙もありません。決して特別ではなく過激さもなく、どこまでも誠実で温厚です。これが通用し、チームが勝利したというのも、私には驚きです。

もしかしたら、もともとそういう人ではあったにせよ、四六時中カメラとマイクに張りつかれ見守られ語らせられたことが逆に、この人を冷静にさせ自分を見つめさせ、取るべき道を常に正しく選択させたのかもしれません。だとしたら、案外この勝利をもたらし映画を成功させたのは、撮影を続けたカメラそのものの力だったのかもしれません。それはそれでまた、興味深いです。(つづく)

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カツジ猫