映画「戦火の馬」感想。
これは本当に楽しい映画だ。
そりゃもう、「戦場のピアニスト」なみに、むぞうさに理不尽に人は(いい人ほど)ばたばた死ぬ。死んだ場面さえもないぐらい、あっさり画面から消える。そう言えばいい人みたいだったけど、めっちゃ影は薄かったよななんかと、あとで思ったりするぐらい。死んだ場面があるいい人も、ものすごくあっさり感情移入もなんもなく、えっと驚くぐらいさっさと殺されてしまう。
あんまりこんな風だから、けっこうどころじゃない主役級の重要な人が例によって(一人じゃないんだよ)死ぬ場面もなく消えたのを、「あれは死んでないんじゃ」と主張する人まで、ネットでは出てきていて、皆からアホよばわりされていた。アホよばわりする人の気持ちはすごくよーくわかるし、当然だと思うけど、しかしまあ、あんだけあっさりとっとと主役級を次々消したら、「まさかそんな」と信じられずに、許されるぎりぎりの範囲まで「生きてるんじゃ」誤解をしたがりたくなる人の気分も、まあこの映画の場合、わからんではないな。ほら、義経が生きのびて蝦夷に渡ったとか、為朝が逃げのびて琉球の王様になったとかいうやつみたいなもんで。
特にこれだけ、顔色ひとつ変えずにって、まあ監督の顔色は見えないんだけど、そのくらいあっさり、いい人も主役級も殺しまくって、悲しい音楽も流さないぐらい淡々と「戦場のピアニスト」風やっててその一方で、主役の馬の最大のピンチで、突然聞こえてくる口笛とか、もう予定調和なんてもんじゃない、歌舞伎でもやらんぞそんなことと言いたいぐらい、できすぎの、ウソだろみたいな大芝居をしらーっとやってのけるからなあ。それが不自然でも何でもなく見えてしまって、うけいれられるのが、ウソは堂々とつけっていうか、スピルバーグの自信のたまものってやつだろうなー。ふつう、絶好調のときしか人間こんなことはできないと思うけど、彼の絶好調はそういう意味ではずっと続いてるんだろうか。
この、ひなた水みたいな、まのびしかねないのんきさと、残酷で冷酷な現実をつきつける氷水なみの冷やかさが、人類への野放図なほどの期待と信頼と愛と、容赦ない告発と冷徹な視線とが、平気で同居し、からみあう。「シンドラーのリスト」なんかでも、そうだったもんなー。だからまあ、その落差のすごさっていうか異文化共存のすごさっていうかについていけない人が、ハッピーな「生きてる」妄想をしてしまってもわからんではないな。この映画のおっそろしい本質を(人間とこの世界は、死ぬほど暖かく美しいと同時に死ぬほど救いがたく恐ろしいものだ、ということを)拒否しまくってるっていう点で、この映画の最高の栄養をとりそこねてる人っていうのは、まあまちがいがないけどな。
あ、いかん、こんな意地悪言って遊んでるヒマはない。
この映画の、いい意味でだけどリアルなようでリアルじゃないのは、だいたいもうすでに、主役のあのウマだよね。何頭も使ったとかいう話だけど、どのウマにしてもとても気品があって、かわいくて優しくて魅力的。それはいいんだけど、素人目で見てもって、素人だからそう見えるのかも知らんけど、絶対にあれは野良仕事や力仕事するような顔じゃないぞ。冷静に考えて。
この話のポイントは、あのウマがほんとは大事に大事に飼われる名馬なのに、ああゆー事情から畑仕事の超苛酷な労働をしなくちゃならなくなって、でもだからこそ、それが戦場で彼の命を救ったし、ある程度は仲間も救ったってところが、よくできていて面白いわけだが、それにしても、あの美しい優男の彼が、どう考えてもそんな仕事ができるわけがないって。
でもいいのよ。それはかまわないのよ。ハンサムな色男が西部劇の荒くれガンマンやったり、オードリー・ヘプバーンが花売り娘やったりするのと同じことで、そこは全然リアリズムでなくていいのよ。
ハリウッド版「南極物語」でも、あれは私は日本のオリジナルの方が絶対いいと思うけど、それはそれとして、ハリウッド版のヒロイン犬のマヤさんの気高い美しさは、もうふるいつきたくなるぐらいで、彼女がふりしきる雪の中、じーっと飛行機見送ってる画面見ただけで、わー、私なら国がほろびても家族が消えても、おまえを救いに帰るわとつい言いたくなるぐらいの説得力があったもんなー。
説得力はあったけど、あのお美しい彼女がソリを引くってのは、どう考えてもあり得ない気がした。引いてたけど。画面では。でも後でパンフレット読んだら、ソリを引く時は別の犬で、マヤさまじゃなかったらしく、しかも彼女を演じたその美女犬はめちゃくちゃ性格悪かったらしくて、いろいろもう、実に納得したり笑ったりしたのだよ私はな。
ちなみに沢尻エリカが有吉佐和子の「悪女について」でヒロインを演じるそうで、何だかすごくいい配役のような気がする。あ、まあ、そんなことはどうでもいいんだけど。
えっと、続けます。