映画「福田村事件」を見ました
この映画をぜひ見たいと思って、上映館をネットで確認したら福岡ではやってなくて、大分か熊本まで行くのもちょっとなあと悶々としてました。
あきらめきれずに一昨日もう一度確認したら、なんと福岡のKBCシネマ北天神でやっているではないですか。
体調はいまいちだったんですけど、えいっと車で昨日、出かけました。いいけどあそこの映画館、近くに時間をつぶせる喫茶店が皆無なのよねえ。絶望的なまでに。おまけに土曜で駐車場は混んでるし。ようやくたどりついたら、たまたま舞台挨拶のある日で、その日のチケットは二回とも完売。もともと小さい映画館で席も少ないんですが、こんなこと初めてでした。ヒットしてるのはよいことだとうれしかったけど、見られないのはくやしい。パンフレットと書籍を買いこみ、翌日つまり今日の予約をして帰りました。
で、今日も充分早めに出たんですが、今度は日曜で道が混みまくり、いつもの倍も時間がかかって、文字通り一分前にたどりつきました。そうしたら、これまた満席。小さいロビーはごったがえしていました。
関東大震災のとき、千葉県の小さな村で被差別部落の行商人の一団が朝鮮人とまちがえられて幼児も妊婦も村人に殺されるっていう、ある意味ホラーな題材に、こんなに人が集まるとはと、かなり不思議に思いましたが、見てなるほどとわかりました。
もう今夜は眠いので詳しいことは明日書きますけど、惨殺の場面は見る人が不快にならないよう、細かく工夫してあります。ひどい話ではありますが、決して必要以上に恐くない。いや、恐いけど、グロさや陰惨さはない。だから、そこが心配な人はどうぞ心配しないで、ぜひ見に行って下さい。
本当に恐いのは、血しぶきやなんかじゃない。デマやその他でゆれうごく、人間たちの心です。良心的な人たちの葛藤です。それがつくづく、もう恐い。でもそれは、今もいつでも、同じことです。
人間は聖人でも英雄でもないから、普通、まちがいも犯すし、スネに傷も持っている。そういう中で正しい選択を迫られる。これも今も変わらない。
もしかしたら、暗さや陰惨さが足りないと文句いう人がいるんじゃないかと思うほど、この映画はきれいです。おしゃれで、夢のような味わいがあります。泥臭い、まじめなリベラル派の中には、違和感感じたり物足りないという人もいそうなぐらい、全体がきれいな絵巻物のようです。
私は行商人たちの衣装にも、それをずっと感じていました。被差別部落の行商人の一行は、つぎはぎの粗末な服装なのに、それがまあ実にきれいで、色合いも美しく、こざっぱりとしてるし、カッコいい。黒澤明でもそうですが、日本映画のこういう人たちを描くときの、貧乏たらしさと小汚さはほんとにこれでもかってぐらいですが、この映画は全然そうじゃない。それも現実感がないと不満な人もいるかもしれない。でも私はこれでいいと思う。歌舞伎だって、貧しい人たちの衣装を、とても象徴的にして、美しいものにしてしまう。あれと同じですよ。
この映画は、ハンセン病の患者から朝鮮人弾圧の歴史から、徹底的に目配りをして、きっぱりとした視点で正確に正しく語っていますけど、決してリアルな話じゃないの。村の中の醜いさまざまな人間模様を赤裸々に描きながら、すべてがまるで美しい夢のよう。
それはきっと、一番の悪役も含めて、登場人物のすべてに「無理もない言い分」があり、一人残らずが犠牲者だという視点が、これまたしっかりあるからです。
ひょっとしたら、最大の悪役は政治とか国とか権力とかでさえない。神かもしれない。そう思わせるほど、この映画の奥行きは深い。
だから、重苦しくありません。悲惨でもありません。軽やかで、美しい映画です。もしかしたら、まじめに何かを学ぼうとか何かと向き合おうとして見に来た人は、前半、いや全編において、とまどいつづけたのではないかしら。こんなに楽しくて、暖かくて、優しくて、快い映画を見ていていいのかと。
嘘と思うなら、ぜひ見に行って下さい(笑)。見てつらくなる映画じゃありません。むしろ、慰められ、癒やされる映画です。
俳優さんたちが皆、とても魅力的。誰もが文句なしの名演でした。
ネタバレになりそうなとこもあるので、明日もうちょっと、続きを書きます。
あ、そうそう。全編、字幕がついてます。これが案外、人間関係の把握などに便利でよかった。聴覚障害の方も、ぜひ行かれてみて下さい。
うーん、このチラシを見ると、私の感想もあんまり的外れじゃないかもしれない。きれいで軽やかでおしゃれな映画って、監督、確信犯なのかも。